善行無轍迹

   小豆島と雲仙市、時空を超えての結びつき

f:id:shodoshimatest:20191123042425j:plain

テストパイロットは、久しぶりのスーツ姿

 

f:id:shodoshimatest:20191123042532j:plain

f:id:shodoshimatest:20191123042557j:plain

f:id:shodoshimatest:20191123042620j:plain

f:id:shodoshimatest:20191123042750j:plain

f:id:shodoshimatest:20191123042821j:plain

   十一月十二日、小豆島を訪れた雲仙市の皆さん七十五名の皆さんの前でタコ飯屋は、土庄町と雲仙市との文化・歴史・観光の交流発展に寄与したとして雲仙市の小豆島交流推進委員会から感謝状を頂きました。これからもタコ飯屋は、「善行無轍迹」を肝に銘じて雲仙市との交流発展に微力ながら寄与していきたいと思っております。
 寛永十四年(1637年)に勃発した島原天草の乱により、雲仙、南串山、島原半島南西部は荒廃し、誰一人住まない無人の地になりました。そこで幕府は慶安二年(1649年)、島原半島へその当時天領であった小豆島の住民の移住を決め、南串山村郷土誌によれば寛永十九年に十七軒が小豆島から移住して以来、明暦三年(1657年)、小豆島の百姓七百名が移住したという古文書が雲仙市歴史資料館南串山展示館に残っているように小豆島から大勢の住民が島原半島に移住しました。そのころの土庄町の住民が数多く移住したのが雲仙市南串山町で、笠が滝の三木家、小海の三宅家などを遠祖とすると伝えられている人々が雲仙市の各分野で活躍しております。このような小豆島土庄町と雲仙市南串山町との深い歴史の縁を後世まで伝えるために、新しい絆づくりが連綿と受け継がれています。
 昭和52年4月1日、東京の専修大学を卒業して土庄町役場に奉職、同日教育委員会社会教育課に出向、四海公民館主事を命じられました。その時、清水誠一教育長から、「白鳥蘆花に入る」 という言葉を教えていただきました。名作「次郎物語」 の作者の下村胡人という人が座右の銘にした言葉で、葦の白い花の生えている水辺に白鳥が降り立つと白鳥は背の高い蘆の花に隠れてその姿は見えないが、葦の花のざわめきでその存在が分かる。自分は一生懸命やっていると言わずとも、その功績は人知れず残る。公民館主事の仕事はまさにこれです。頑張ってくださいと言われました。あれから40数年の歳月が流れました。
役場を定年退職して、早くも五年、アッという間でした。