ずっこけテストパイロット、厄落としの旅・その①

ずっこけテストパイロット、厄落としの旅・その①
 
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 26年前、還暦を迎えた父親が、厄落としに徳島の日和佐にある薬王寺というお寺に行きたいということで連れていったことがある。それを思い出し、18日の夜は琴平で飲み会があるので、日和佐の薬王寺にお参りをして19日に琴平の金比羅さんにお参りをしようと思い立ち、「謎のオリーブ号」とともに、まず徳島県の日和佐に向かった。
 
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四国霊場第二十三番札所厄除けの寺『薬王寺
「発心の道場」といわれる阿波最後の霊場高野山真言宗の別格本山でもある。厄除けの寺院としては全国的に有名で、「やくよけばし」を渡って本堂に向かう最初の石段は、「女厄坂」といわれる33段、続く急勾配の石段「男厄坂」が42段で、さらに本堂から「瑜祇塔」までは男女の「還暦厄坂」と呼ばれる61段からなっている。各石段の下には『薬師本願経』の経文が書かれた小石が埋め込まれており、参拝者は1段ごとにお賽銭をあげながら登る光景が見られる。縁起によると、聖武天皇(在位72449)の勅願によって行基菩薩が開創したとされている。弘仁6年(815弘法大師42歳のとき自分と衆生の厄除けを祈願して一刀三礼し、厄除薬師如来坐像を彫造して本尊とされ、厄除けの根本祈願寺とした。大師は、この厄除け本尊の功徳を平城天皇嵯峨天皇淳和天皇3代に相次いで奏上したところ、各天皇は厚く帰依し、厄除けの勅使を下して官寺とされている。文治四年(1188)、火災で諸堂を焼失しているが、このとき厄除け本尊は、光を放ちながら飛び去り、奥の院・玉厨子山に自ら避難した。のちに嵯峨天皇が伽藍を再建して新しい薬師如来像を開眼供養すると、避難していた本尊が再び光を放って戻り、後ろ向きに厨子に入られたと伝えられる。以来、「後ろ向き薬師」として秘仏にされている。境内には吉川英治著『鳴門秘帖』、司馬遼太郎著『空海の風景』に登場した石碑がある。四国一の厄除けの寺だけに年間百万の人が参拝する。
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              うーん・・・
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        吉川英治の鳴門秘帖の石碑がたっていた。
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              厄坂の賽銭
       お賽銭をあげながらお参りすると、身に降りかかる厄難が落ちるという。
 
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上から見るとこんな感じ。かなり階段がきついです。
 
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医王山薬王寺の本堂です。
 
 
 
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弘法大師厄除祈願所として全国的に有名です。
 
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お寺のあちらこちらに楠の巨木があります。
 
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           瑜祇塔(ゆぎとう)
 高さ29メートルの楼閣。上方が四角、下方が円筒形で一重の塔。天と地の和合を説く『瑜祇経』の教えに基づき、屋根に五柱の相輪が立っています。
 
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瑜祇塔から、NHK朝の連続ドラマ小説『ウェルかめ』の舞台となった日和佐の街並みと太平洋を遠望できます。
 
小豆島から6時30分発のフェリーで高松に、それから徳島市を経由して日和佐に着いたのが10時30分ですから、まずは船で1時間、車で3時間かかりました。
 
 
それでは厄落としの旅・その②へ続きます。
 
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