2009-11-01から1ヶ月間の記事一覧

操練同期・源田サーカスの二番機間瀬平一郎

翌日から森川は、ヴォートコルセア水上偵察機に計測員を乗せて航空廠飛行実験部で定められている各種試験飛行ーー◎離着水試験(海上旋回・水上滑走距離・視界・操縦性・離水速度・上昇角度・着水速度・着水角度・補助翼(エルロン)、昇降舵(エレベーター)…

局地戦闘機「紫電」誕生のエピソート

太平洋戦争中、空技廠飛行実験部において三菱の零戦や雷電、川西の紫電の試験飛行を担当していた帆足工大尉というテストパイロットは、豪快、竹を割ったような気性で、自分がこうと思ったら絶対に妥協しないという性格の持ち主であった。帆足大尉は、雷電の…

テストパイロットの天敵・「色気」

森川は、ヴォートコルセア水上偵察機そのものには乗ったことはなかったが、九〇式二号水上偵察機は、航空隊で馴染みの機であり、操縦性は軽快、上昇力に優れている。ただし、単フロート(浮舟)の底はシャープで、離着水の時、横風に気を付けなければならな…

第二の故郷横須賀追浜、航空廠飛行実験部

昭和十二年四月一日、海洋飛行団を辞した森川は、横須賀追浜にある海軍航空廠飛行実験部の門をくぐった。 森川を出迎えた飛行実験部水上機班の班長である近藤勝治中佐は、「森川、大学生相手で少しカンが鈍っているだろうから、ボートコルセア水上偵察機を使…

余話として・写真で見る小豆島の空は魔の空域

今日(22日)が寒霞渓の紅葉の最後ということで、父母を車に乗せ行きました。寒霞渓は日本三大渓谷のひとつで、瀬戸内700余島の中で最も高い818メ-トル、奇岩怪石とモミジやハゼなどの紅葉が見事です。森川さんによると、二式大艇の6100メ-ト…

森川、テストパイロットとして歩み出す。

この七部門の中の一つである飛行実験部には、陸上機班、水上機班を問わず、全海軍航空隊から選び抜かれた名パイロットが一堂に会していた。 森川が誘われた水上機班には、日本最大の四発大型飛行艇である川西九七式大艇の初飛行をした近藤勝治中佐(後に少将…

テストパイロットの総本山海軍航空廠飛行実験部

海軍は、明治四十五年六月、海軍独自の航空機研究機関として「海軍航空術研究会」を設立、操縦技術の習得と飛行機購入のためフランスへ派遣していた金子養三海軍大尉がモーリス・ファルマン一九一二年型水上機を、アメリカへ派遣していた河野三吉海軍大尉が…

森川、テストパイロットとして海軍航空廠飛行実験部へ

森川が日本学生航空連盟に就職をした昭和十年頃の羽田飛行場は、変形の菱形をした敷地約八十万坪、三千メートル(A滑走路)、二千五百メートル(B滑走路)、三千百五十メートル(C滑走路)の三本の滑走路に、国内外の定期便がひっきりなしに離発着を繰り…

森川、壹等飛行機操縦士の免許を取得。

海軍は、飛行機搭乗員、なかんずくその中でも、養成に国民の血税と多大な労力をかけたパイロットの満期除隊を、なかなか認めようとはしなかった。唯一の例外は、羽田の日本学生航空連盟海洋部のような海軍関係の外郭団体や、中島飛行機、三菱重工、川西航空…

海軍生活十一年、満期除隊。

昭和九年十一月一日、海軍生活十一年、森川は満期除隊を迎えた。 大正十三年六月一日、十八歳で海軍を志願し、佐世保海兵団、敷設艦常磐乗組み、八期飛行練習生、戦艦陸奥乗組み、佐世保、横須賀、霞ヶ浦などの航空隊のパイロットとして海軍に十一年間奉職、…

鵬翼直舞玖島崎・生と死の淵からの生還

これまで飛行機が山に激突して一人の犠牲者も出さずにすんだという例は、森川の知る限り皆無であった。二月に平壌から京城に向かった大村航空隊の八九式艦上攻撃機三機が、濃霧のために一番機と二番機は山に激突、三番機だけが、かろうじて京城にたどり着く…

墜落、奇蹟の生還

昭和九年六月一日、満期除隊を希望していた森川は、再び古巣の佐世保航空隊勤務となった。 大空を飛び回るようになって十年、これまで何度か墜落しそうになりながらも、そのたびに窮地を脱していた森川だったが、初めて墜落を経験することになった。 佐世保…

森川の故郷小豆島の写真①です。

森川の故郷小豆島の写真、掲載します。 エンジェルロードと名付けられた陸繋島です。潮が引くと陸続きになります。映画「二十四の瞳」の冒頭に使われたり、これまで数々の映画のロケに使われています。潮が速いですが、カヤックをする人には最高の場所です。…

海軍航空隊総本山・霞ヶ浦海軍航空隊

昭和七年十二月一日、森川は霞ヶ浦海軍航空隊に転勤となり、操縦練習生(昭和六年、それまでの飛行練習生は操縦練習生、通称・操練と名称改正)水上機専修者の教員を命じられた。 昭和五年六月、霞ヶ浦航空隊は横須賀航空隊とともに、教育を主任務とする練習…

「飛行中ニ左発動機ヨリ出火、和歌山ノ周参見沖合ニ緊急着水」

突然、左発動機の点火栓坑からボワッという音とともに緋色の火焔がほとばしり出、炎に包まれた。 八九式飛行艇の発動機は、下翼と上翼の間に設けられた架台上に搭載されている。急がなければ、発動機からの火焔で上翼を焼き、墜落してしまう。森川は左発動機…

八九式飛行艇の試験飛行、森川、霞ヶ浦海軍航空隊へ

離水に失敗した三番機の主操縦員は、佐世保航空隊では飛行艇パイロットとして第一人者の空林永治空曹長であった。空林のようなベテラン中のベテランでさえ、思わぬアクシデントに遭遇して事故を起こしてしまう。飛行艇において、燃料満載の過荷重時状態での…

操練同期の間瀬平一郎との再会

その頃、横須賀航空隊には、第八期飛行練習生同期として霞ヶ浦で同じ釜の飯を食べた間瀬平一郎が陸上機班戦闘機分隊におり、一三式艦上攻撃機のパイロットとして、派手なスタント飛行の練習を披露して、空を仰ぐ万人から喝采を浴びていた。 間瀬は、第八期飛…

森川、飛行艇パイロットとして横須賀海軍航空隊へ

森川が飛行艇のパイロットとして訓練に明け暮れていた昭和三、四年頃の日本の航空界を、ジャーナリストの高木健夫は、こう述べている。 「その年の五月、土浦に転任すると、そこに霞ヶ浦海軍航空隊が待っていた。土浦通信部というところは、まるで霞ヶ浦航空…

森川は戦艦陸奥での二年間にわたる艦隊勤務を終え、飛行艇パイロットに

昭和三年十二月一日、森川は戦艦陸奥での二年間にわたる艦隊勤務を終え、再び佐世保航空隊に帰ってきた。配属された分隊は、水上飛行機乗りあこがれの飛行艇分隊であった。 飛行艇分隊は、パイロットはもとより、偵察、電信、機関兵に至るまで皆ベテランばか…

森川、陸奥とともに、青島、芝罘、旅順、大連、基隆、香港、馬公などを巡る

森川は、陸奥での二年間にわたる艦隊勤務において、日本各地の要港を初めとして、青島、芝罘、旅順、大連、基隆、香港、馬公などを巡り、瀬戸内海はもとより太平洋、日本海、東支那海などの外洋を飛び回るという、海軍航空隊のパイロットとして得難い体験を…

「昭和の御代」初めての大観艦式が横浜沖で挙行された。森川、天覧の栄に・・・

十月二十一日、連合艦隊は大島沖において、加藤寛治大将率いる第一、第二艦隊からなる青軍(防御軍)と、山本英輔中将率いる特設第三艦隊よりなる赤軍(攻撃軍)に分かれ、秋の大演習を行った。 三十日、「昭和の御代」初めての大観艦式が横浜沖で挙行された…

森川、「美保ケ関事件」に直面する。初めての郷土訪問飛行。

艦隊勤務は、前期と後期の年二期に分かれていた。一月中旬から五月中旬までの前期四ヶ月の訓練が終わると、各艦船は整備や修理、乗組員の休養、補充交代のためにいったん母港に帰り、一ヶ月余りの休養の後、七月初旬から十一月末までの後期四ヶ月が始まるの…

森川・パイロットとしてリンドバーグの偉業に心を高鳴らせる。

一四式水上偵察機の揚げ降ろしには、主砲などの射撃を担当する陸奥第三分隊があてられていた。分隊長は、大正十三年に摂政宮(昭和天皇)と結婚した久邇宮良子女王の兄である朝融王であった。 朝融王は、青年士官らしく地味な揚収作業よりも、大空を自由に舞…

「陸奥」はじめての40センチ主砲弾着観測・連合艦隊航空参謀は大西瀧治郎であった。

森川が初めて弾着観測をしたのは、宿毛沖で行われた陸奥、長門の二戦艦による甲種戦闘射撃訓練であった。 戦艦の主砲の斉射は、戦技演習の花形であり、その中でも陸奥、長門の四十センチ主砲の斉射は、全海軍注目の的であった。 戦闘射撃訓練は、五万メート…

ペンネットは「大日本軍艦陸奥」、花の一等水兵でパイロット

佐世保海兵団出身の水兵にとって、数ある佐世保鎮守府艦籍の軍艦の中で最高峰に位置していたのは陸奥であり、佐世保の街のみならず、呉や横須賀に上陸しても、陸奥の乗組員だと一目置かれ、肩身の狭い思いをせずにすんだ。敷設艦常磐という艦齢二十五年を超…

陸奥、弾着観測のため一四式水上偵察機を搭載。森川、艦隊勤務はじまる

パイロットである森川が陸奥乗組みを命じられたのは、その陸奥と長門に水上偵察機を搭載し、空からの俯瞰弾着観測を試みようとしたからである。 陸奥、長門などの戦艦に搭載されている主砲は、海軍の戦闘能力を誇示するものであり、日本のみならず欧米各国の…

森川、連合艦隊旗艦「陸奥」の初代水偵搭載パイロットとなる。

大正十五年六月一日、佐世保鎮守府所属の五名の内、森川ら水上機専修者三名は佐世保海軍航空隊水上機隊に、陸上機専修者二名は大村海軍航空隊陸上機隊に配属された。 佐世保海軍航空隊(通称・佐空)は、我が国最初の海軍航空隊である横須賀航空隊に遅れるこ…

大正十五年五月二十九日、森川は第八期飛行練習生同期十四名とともに卒業式を迎える。

その年の暮れ、小豆島に帰省した森川は、親戚や友人から求められるままに霞ヶ浦での飛行訓練の模様を話した。 幼なじみや朋輩からは、「ほう、森川さんは海軍に志願して水兵になったのに、飛行機というものに乗って空を飛んどるんか、ところで飛行機というも…

ハンザ水上偵察機で、特殊飛行や編隊飛行の訓練が始まる。

中間練習機教程(中練)に進むと、使用される飛行機も、アブロ水上練習機から実用機であるハンザ水上偵察機に変わり、特殊飛行や編隊飛行の訓練が始まった。 飛行適性検査や初歩練習機教程で使われたアブロ水上練習機は、離着水、水平直線飛行、旋回、上昇、…

森川、アブロ水上練習機で単独飛行、これで練習生は15人に絞り込まれる。

一日二回の搭乗、飛行時間は十五分から二十分、延べ時間にして十五時間余りが過ぎた。三ヶ月間の初歩練習機教程の仕上げは、単独飛行であった。 技量未熟として単独飛行を許されない場合、飛行機操縦の適性に欠けると烙印を押され、練習生は容赦なく「首切り…