テストパイロットの総本山海軍航空廠飛行実験部

海軍は、明治四十五年六月、海軍独自の航空機研究機関として「海軍航空術研究会」を設立、操縦技術の習得と飛行機購入のためフランスへ派遣していた金子養三海軍大尉がモーリス・ファルマン一九一二年型水上機を、アメリカへ派遣していた河野三吉海軍大尉がカーチス一九一二年型水上機をそれぞれ持ち帰り、明治天皇崩御して年号が大正と変わったその年の十一月十二日に催された観艦式において、金子大尉の操縦するモーリス・ファルマン水上機が横須賀追浜沖を離水、横浜沖において大正天皇の座乗するお召艦「筑波」の側に着水し、大正天皇に敬礼の後に離水するという、当時としては離れ業を演じて喝采を浴び、滞空時間約三十五分、距離九十二・六キロの海軍初の公式飛行を、続いて河野大尉の操縦するカーチス水上機が観艦式に臨み、滞空時間約十五分、三十一・五キロの飛行を成功させて以来、欧米の飛行機を輸入し、その設計、製作、操縦、運用などを学んでいた。この間、ショート184水上機国産化(ロ号甲型水上偵察機)という実績は残したものの、性能の優秀な輸入機が大勢を占める状況には、何ら変わりがなかった。
しかし、艦艇建造技術では欧米列強と肩を並べていた海軍は、大正十一年十二月二十七日、航空母艦「鳳翔」を竣工させた。鳳翔は七千四百トン余りであったが、空母として建造された世界で初めての軍艦であった。さらに昭和二年三月二十五日、後年世界のビッグ・フォー(四大空母)と称された三万トン級大型航空母艦「赤城」、翌三年三月三十一日には「加賀」を相継いで竣工させ、欧米列強、特に日本海軍がその師と仰ぐイギリスを脅かすほどの航空戦力を持つようになった。
 また同年四月五日には、航空機搭乗員の教育と航空機開発を目的とした海軍航空本部を設立、制度上からも円滑な監督、指導が可能となり、海軍航空隊の気運はいやが上にも高まった。その結果、昭和五年に入ると、海軍機のほとんどが国内の航空機会社で製作されるようになったが、それらの多くは、日本人独力での設計ではなく、未だ外国人の手によるものであり、性能的にも欧米の航空機の水準に肩を並べるまでには至っていなかった。しかし、急速な日本の航空戦力拡大に警戒感を抱くようになった欧米各国は、航空機の設計、試作などの技術提供や発動機、補機類などの輸出に対して慎重な姿勢を取り始めた。
海軍航空本部技術部長に就任した山本五十六少将は、外国に頼らなければ新型飛行機の設計、試作はもとより、現行機の生産に支障を来すという状況から一日も早く脱却しないと海軍航空の根幹が危うくなると考え、欧米から航空機に関する技術導入の道が閉ざされてもかまわないように、機体、発動機、補機、装備などのすべてを日本人の手で設計、製作し、なおかつ欧米の航空界の水準に匹敵するものを製作する体制を整えようという『航空技術自立計画』を策定した。
昭和七年四月一日、海軍は「自今軍用機ハ国内デ開発シ生産ヲ増強スル」という航空機国産自立の計画にもとづき、海軍技術研究所航空研究部、横須賀海軍工廠航空機実験部、同廠発動機実験部を統合し、海軍航空廠を創設、時を同じくして『七試計画』(昭和七年度試作計画)にもとづく、「七試艦上戦闘機」、「七試艦上攻撃機」、「七試三座水上偵察機(九四式水上偵察機)」、「七試双発艦上攻撃機(九三式陸上攻撃機)」、「九二式艦上攻撃機」、「七試大型陸上攻撃機(九五式陸上攻撃機)」など各機種別の設計、試作が国内各航空機製作会社に命じられたのであった。
 海軍航空廠が創設されたことにより、それまで航空機の開発や実験は、霞ヶ浦の技術研究所航空研究部や横須賀市田浦の横須賀海軍工廠造兵部飛行機工場、航空機実験部、発動機実験部という具合に個別に行われていたものが組織的に統一されただけでなく、欧米から購入した最新鋭機や国内航空機メーカーの試作機の基礎的性能実験、装備の開発、改善などは航空廠で、それらの実用試験は隣接する横須賀航空隊で行い、試作機の審査は航空廠と横須賀航空隊が協同して行うという具合に、開発や実験、用兵の連携がスムーズになり、昭和九年の『九試計画』の中から陸上機では、九試単座戦闘機九六式艦上戦闘機)、九試中型陸上攻撃機九六式陸上攻撃機)、水上機では日本最大の四発大型飛行艇である九試大型飛行艇(九七式飛行艇)、九試中型飛行艇(九九式飛行艇)が生み出され、国産の飛行機も、主翼は複葉から単葉へ、機体は木骨から全金属製へと技術革新の大転換期を迎え、欧米の航空界と肩を並べるまでの技術水準を有するまでになったのである。
その後、航空廠は昭和十四年四月に「航空技術廠(通称・空技廠)」に、二十年二月には「第一技術廠(通称・一技廠)」となり、太平洋戦争末期には作業部十三部、支廠を含めると職員千七百名、工員三万千七百名余りに膨れあがるに至ったが、開設時の各部の所掌は次の通りである。
 ◎総務部ーー主として予算、人事、管財、各部の統合、対外折衝を掌る。
 ◎科学部ーー主として飛行機の性能の研究、調査、航空機材料の基本的研究、調査、航空兵器の試験及び審査。(主として旧技研航空研究部の業務を継承)
◎飛行機部ーー主として飛行機の設計、飛行機材料に関する実験研究及び調査、航空機機体の造修、飛行機の兵装に関する計画。(主として旧横須賀海軍工廠造兵部飛行機工場の業務を継承)
◎発動機部ーー主として航空機用発動機の設計、航空機用燃料及び潤滑油の実験、研究及び調査、発動機造修に関する計画等。(主として旧横須賀海軍工廠発動機実験部の業務を継承)
◎兵器部ーー主として航空兵器材料の実験、研究、調査、航空兵器の弾道の研究及び実験、航空機用射撃兵器(機銃関係は除く)、光学兵器、計器、火工兵器、電気兵器及び航空機発着装置の造修に関する計画、航空兵器の試験、検査及び審査等。
◎飛行実験部ーー主として航空機の飛行によって行う実験研究、調査及び審査、航空機の事故、故障の研究及び調査等。(主として旧横須賀海軍工廠航空機実験部の業務を継承)
 ◎医務部ーー航空衛生の研究に関すること。
(『海軍空技廠』光人社、碇義朗著より抜粋参考)