2010-01-01から1ヶ月間の記事一覧
香川県には「森の石松の金比羅参り」で有名な海の神様・金比羅さんがあります。子どもが卒業した高校のOB会があり琴平町に行ってきました。 高松からマリンライナ-に乗って琴平ので1時間、駅を降りると木造の大きな灯籠ががあります。 駅から5分ほど歩…
森川さんが試験飛行の合間、着水してしばしの休憩をとっていた故郷小豆島伊喜末の入り江を海から見たものです。見ていただければわかるとおもいますが、森川さんは、豊島、小豊島、女木島、男木島などが点在するこの狭い海域に逃げ込むことでグラマンの魔の…
海からしか見られない400年前の大坂城石垣丁場跡 小豆島は、別名「石の島」とよばれていたように、古くから花崗岩の採石業が盛んで、島のいたるところに丁場とよばれる石切場があり、江戸時代はじめの大坂城築城の際には、加藤清正、細川忠興、片桐且元な…
樹齢1700年の巨木国指定特別天然記念物「宝生院のシンパク」 家から歩いて15分ぐらいのところに樹齢1700年(推定)のシンパクの巨木があります。幹周り15メ-トル、地上1メ-トルのところで三幹に分かれています。大正11年、内務省より天然記…
瀬戸内の日の出 早起きをして愛犬「てつ」の散歩に家のすぐ近くのエンジェルロ-ドへ行ったところ、日の出がすごくきれいでした。 最初の写真は、昭和27年に木下恵介監督、高峰秀子主演、壺井栄原作『二十四の瞳』の冒頭のシ-ンで使われた場所です。 エン…
森川がテストパイロットとして入社した川西航空機は、日本屈指の航空機製作会社であり、海軍と密接に結びついていたが、中島や三菱などとは、会社設立の動機、その生い立ち、経営者の理念が少し異なっていた。 それは、創業者である川西清兵衛が、飛行機の「…
これは、日本における航空機開発の歴史に起因している。 一九〇三年(明治三十六年)十二月十七日、アメリカ・ノースカロライナ州キティホーク、キル・デビル・ヒルの荒涼たる砂原において、自転車製作技術者であるウィルバーとオービルのライト兄弟が、「ラ…
「咳をしても一人」・尾崎放哉、終焉の地 世界一狭い海峡から歩いて5分ほどのところに、南郷庵(みなんごあん)という小庵があり、大正十五年四月、尾崎放哉という「咳をしても一人」「足のうら洗へば白くなる」「入れものが無い両手でうける」など、種田山…
森川が二式大艇や九七式大艇を着水させてしばしの休息をしていた伊喜末や長浜の浜辺から車で10分ほどのところに、世界一狭い海峡としてギネスブックに認定された幅11メ-トルほどの「土渕海峡」があります。
森川が二式大艇や九七式大艇の試験飛行で立ち寄っていた故郷小豆島土庄町をシリ-ズで紹介します。 まず、小豆島の玄関口である土庄港です。岡山・高松・豊島からのフェリ-、高速艇などが出入りしています。 港を降りたところに「二十四の瞳」のブロンズ像…
「殊に私の敬服に堪えない点は、社長は科学的技術の研究に重点を置かれた事であった。先ず航空機については、大正15年7月航空力学の権威であるAachen大学のKarman博士を招聘して風洞実験による航空力学の研究を開始され、わが国における航空…
太田は老練なテストパイロットだったが、川西で定められた試験飛行の経験しかなく、九七式大艇の試験飛行に毎回一時間五十分から二時間かけていた。航空廠飛行実験部において国内外の最新鋭飛行艇を飛ばし、審査技術に磨きをかけていた森川とは、試験飛行へ…
森川は、入社そうそう九七式大艇の試験飛行を命じられた。 森川の、八期飛行練習生、佐空、戦艦陸奥乗組み、横空、霞空、航空廠飛行実験部と申し分のない飛行歴と航空廠飛行実験部のお墨付きがあっても、海軍の期待を一身に集めた、それまでの飛行艇とは一線…
三月に入ると、近藤勝治中佐と伊東祐満少佐は、出勤してきた森川を呼び、「森川、神戸の川西航空機へ行ってくれないか」と告げた。 話の内容は、川西から九七式飛行艇の後継機として十三試大型飛行艇の設計、試作に取りかかっているが、会社のテストパイロッ…
九月に入ると、森川にとって思い出深い「佐鎮号」ことダグラス飛行艇一号機が、佐世保から館山航空隊に向かう途中、濃霧のために福岡県の背振山に激突し大破炎上した。 パイロットを初めとした搭乗員五名は全員即死、客席の三十五名は、激突の衝撃で艇体が折…
昭和十三年に入ると、佐世保航空隊の森川の前に、羽田の海洋飛行団時代の教え子である岡本大作が、海軍予備少尉の凛々しい姿であらわれた。 岡本大作は、大正三年八月、愛知県岡崎市上六名町に生まれ、岡崎中学から名古屋飛行学校を経て日本大学専門部工科機…
ここ小豆島の正月は穏やかな日が続きました。今年もよければのぞいて下さい。 添付の写真は、昨年の3月に「二十四の瞳」のブロンズ像の前のロータリーに大きなオリ-ブの木を植えて12人の子どもたちの名前を書いた石碑とこの「ひらいた ひらいた」の石碑…