閑話-③400年前の大坂城石垣丁場跡

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 海からしか見られない400年前の大坂城石垣丁場跡

 
 小豆島は、別名「石の島」とよばれていたように、古くから花崗岩の採石業が盛んで、島のいたるところに丁場とよばれる石切場があり、江戸時代はじめの大坂城築城の際には、加藤清正細川忠興片桐且元など七大名が島の各地に陣屋をもうけ、丁場から伐り出した石垣用の巨石を、修羅(木製の大型のソリ)に乗せ、牛や人力で海岸まで運び、轆轤を使って船や筏に積みこみ、海路大坂へと運んだのであった。
 大坂城の、加藤清正が小豆島から運んだと伝えられている京橋門枡形石(通称・肥後石)などは、露出している部分だけでも縦五・五メートル、横十四メートル、畳三十畳あまりにもおよぶ巨石である。大坂城の石垣巨石ベストテンのなかに、小豆島から伐り出されて運ばれたものは、この「枡形石」をはじめとして「大手門見付石」、「大手二番石」、「京橋口二番石」、「大手三番石」と実に半数にもおよんでいる。
 この写真は「大坂城石垣石切小瀬原丁場」という、海からしかみられない県指定の文化財です。400年前の丁場跡跡がほぼ完全な形で残っているのは珍しく、高松からフェリ-や高速艇に乗れば、土庄港に着く前に左手に見えます。
 島から外を見るばかりでなく、海から島を見なければならないと教えてくれたのは専修大学時代、同じ香川県出身ということで面倒をみてもらった洋画家の田中岑先生(第一回安井賞受賞者)です。
 ここも小豆島を訪れる観光客は皆無ですが、土庄港から車で10分ほど、山頂まで来るまでいけます。
 山頂のからの備讃瀬戸の眺望は絶品です。