2010-02-01から1ヶ月間の記事一覧

門司レトロタウン-①

門司レトロタウン・・・ 2月、3月は退職する職員の送別旅行があり、関門海峡に面した門司港の一角に「門司レトロタウン」を訪れました。 ウォ-タ-フロントの古い建物を利用ししたものです・・・近くに出光美術館もあり、今度行くときは、ゆっくりと巡り…

『バカでエ-スがつとまるか!』 堀内恒夫

『バカでエ-スがつとまるか!』 堀内恒夫 友人が堀内さんの甥ということがあり、大学1年のころからのお付き合いである。 貧乏だった私は、その頃は巨人軍の沢田スカウト部長の杉並のマンションに住んでいた堀内さんを訪ねると、「ホリ、飯、食べたか。なん…

小豆島の魚と貝

地物の魚と貝 瀬戸内の20メ-トルほど海底に生息するタイラギ貝を潜って採っている知り合いの潜水夫から、今年最後の貝柱(タイラギ貝)や、食べるかという電話が入った。 貝柱、写真でどれだけ大きいかわかってもらえると思いますが、これだけ入って15…

路面電車・八丁堀

広島の路面電車・八丁堀 小豆島には電車がありません。公共の乗り物はバスか船です。そのためか、小さいときから高松や岡山に行くと汽車や路面電車を見るのが好きでした。広島で「八丁堀」と標記された路面電車を見たとき、思わず写真を撮ってしまいました。…

小さな美術館・田中岑先生

犬が好き・・・うちは柴犬ですが 名前は「テツ」。

『暗い絵』・野間宏

『暗い絵』・野間宏 昭和48年・・・大学1年生の冬、アパ-トの近くに住む画家の田中岑(第一回安井賞受賞)のもとに、同じ香川県だからと強引に教え子?となった私は、ブリュ-ゲルの絵の世界に引き込まれていた。 縁あって1年生ながら内田義彦先生(経…

港町・尾道

港町・尾道 広島・宮島・岩国と周り、尾道へ行きました。 JR尾道駅のすぐ前は潮の流れが速くて有名な尾道水道です。桜で有名な千光寺、大林監督の「転校生」のおのみち映画資料館、尾道ラ-メンなど、見所がいっぱいあります・・・時間の都合で回れなかった…

世界遺産・厳島神社

干潮の厳島神社 厳島神社に行くには、宮島口からフェリ-か高速艇に乗らなければなりません。この船着き場とフェリ-は二社があり、一社はJR西日本です。20分間隔で発航、接岸するフェリ-の「JR西日本」と書かれていたのには、思わず笑みがもれました…

「原爆ド-ム」

夜明けの「原爆ド-ム」 1945年8月6日午前8時15分17秒、アメリカ軍のB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」が、建物の西隣に位置する相生橋を投下目標として原子爆弾を投下した。投下43秒後、爆弾は建物の東150メートル・上空約580メートルの地点で炸裂した。 原爆炸裂…

「いれものがない両手でうける」

「いれものがない両手でうける」 尾崎放哉が亡くなって二年後の昭和三年四月七日の命日、放哉を庇護し南郷庵の庵主として世話した小豆島の素封家井上一二が施主となって南郷庵の庭先に放哉の句碑が建てられた。 句は、「いれものがない両手でうける」 字は、…

素麺のお接待

素麺のお接待 剣道大会で育成者による素麺のお接待がありました。 小豆島では、熱い出汁をかけて食べる素麺を「ニュ-メン」とよんでいます。大鐸剣道スポ-ツ少年団の育成者の皆さんが、この大きな釜で出汁を作り、ちくわとわかめの入ったニュ-メンを大会…

島の少年剣道大会

小豆島の小さな少年剣道大会 剣道大会に行きました。わたしの仕事は、賞状の字を書くことです。 大鐸地区という、3年前までわたしが公民館主事として勤務していた大鐸地区では、5年前に小学校が廃校となりましたが、父兄と指導者が協力して「大鐸剣道スポ…

小さな美術館・田中岑先生

小さな美術館・田中岑先生 田中先生は香川県豊浜の人である。大学時代の私は、気が向くと、近くに住んでいた田中先生を訪ねては、絵を見せて貰い、尾崎放哉や「ドイトラ」こと哲学者の土井虎賀寿を知ったのも、田中先生のおかげである。あれから30数年、上…

尾崎放哉が眺めた風景

尾崎放哉が眺めた風景 放哉の墓から眺めた土庄の町並み、遠景の山は銚子渓、寒霞渓へと続く。 放哉がよく登った裏山からの風景。 「はるの山のうしろからけむりが出だした」 放哉の最後の句です・・・ わたしの入るお墓は、放哉の墓より一段高いところにあり…

孤高の俳人・大空放哉居士

尾崎放哉の戒名は大空放哉居士である。墓石の字を書いたのは東京大国大学時代からの俳友である荻原井泉水である。 墓の裏面には荻原井泉水の文字が刻まれている。 「居士は鳥取市の人尾崎秀雄、某会社の要職に在ること多年、後其の妻と財を捨てて托鉢を以て…

「守破離」

「守破離」 剣道のみならずひろく技芸、学問の世界には、先生と教え子、師と弟子との関係をあらわす言葉に、「守破離」という金言がある。よく武道場などに墨書されてかかげられている有名な言葉であるが、ともすれば字面だけを解釈して、「守」は守るーー師…

小さな美術館・田中岑先生

小さな美術館・田中岑先生 今から30数年前の昭和48年春、専修大学で学んでいた私は川崎市多摩区の向ヶ丘遊園という小田急線沿線の街に住んでいました。小豆島を終焉の地とした自由律の俳人尾崎放哉が縁で、同じ香川県出身の 田中岑先生の知遇を受けるこ…

小さな美術館・田中岑先生

小さな美術館・田中岑先生 休みになって部屋を整理していると、田中岑先生より頂いた「小さな美術館」というポストカ-ドが出てきました。田中先生は私が大学時代、川崎市多摩区の向ヶ丘遊園に住んでいた頃、近くに住んでいた画家で、同じ香川県出身として私…

尾崎放哉終焉の地・小豆島①

尾崎放哉終焉の地・小豆島 私の家から歩いて3分ほどのところに、南郷庵(みなんごあん)という小庵があり、大正十五年四月、尾崎放哉という「咳をしても一人」「足のうら洗へば白くなる」「入れものが無い両手でうける」など、種田山頭火とならぶ自由律俳句…

閑話--ユズ雑感

希代のテストパイロットだった森川勲さんの家には、一本の大きな夏みかんの木があり、森川さん亡きあとも、たわわに実をつけています。夏みかんを見る度に森川さんを思い出します。 私の父母の住む家の裏庭には母親が20年ほど前に植えた柚子の木と金柑の木…

閑話ー屋島再び・初舞台

パンフレットに、私は小豆島の農村歌舞伎のことを書きましたが、小説家の瀬戸内寂聴さんが「神秘なめぐりあい」という題で、木下民話劇のことを書いていました。 せっかくパンフに書いたのだから、篝火の中での芝居か・・・出演してみようと思い、ちょうどエ…

閑話-屋島再び

源平の古戦場として知られる屋島山麓の地に四国民家博物館という四国各地から古い民家を移築復原した野外博物館があります。昭和51年に開設して以来、社会教育の場また観光スポットとして、「四国村」の愛称で親しまれています。自然あふれる約50,000m2の敷…

大島とハンセン病の関わり合い。

屋島の北西約1kmの海上に浮かぶ大島は、 【面積】0.73平方km 【周囲】5.5km 【世帯数】137世帯(2005.10.1) 【人口】197人(2005.10.1) 古くは源平合戦の戦場にもなった島で、屋島の大合戦に敗れた平家方の墓に植えられた松が、800年の歳月を経て、…

森川がその上空を飛んでいた讃岐屋島

森川さんがよく上空を飛んでいた場所の一つが、源平合戦で有名な屋島です。 小豆島土庄港から高松までフェリ-でちょうど1時間、(高速艇30分)、後10分というところ、高松港を正面に、左に屋島が横たわっています。 国指定の名勝である屋島は、まさに…