閑話ー屋島再び・初舞台

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 パンフレットに、私は小豆島の農村歌舞伎のことを書きましたが、小説家の瀬戸内寂聴さんが「神秘なめぐりあい」という題で、木下民話劇のことを書いていました。
 せっかくパンフに書いたのだから、篝火の中での芝居か・・・出演してみようと思い、ちょうどエキストラを募集していたので応募しました。
 木下順二先生にそのことを報告しますと、松竹から「二十二待ちの村人役で出てもらいます。今までの舞台経験は、踊りは出来るのか」など聞いてきました。
 よく話しを聞いてみると、婆さま役が南風洋子、ならず者が米倉斉年、和尚が能の観世栄夫というそうそうたる役者さん、八人の村人は小野田巧以下すべて劇団民藝などのプロの役者さんでした。その中に入ってもらうということでした・・・
 職場では課長から怒られながらも10日髭を剃らず、せめて衣装だけはと島の民俗資料館から、明治時代の刺子の着物や古い帯を借り、リハ-サルにのぞみ、米倉さんから急遽踊りを教えていただきました。
 幕が開く前、ぎっしりと桟敷にお客さんがつめかけているのが見えました。篝火の中での野外での芝居ですので、大勢のお客さんでざわめいていました・・・失敗した、出るんじゃなかったと思いましたが、本当に後の祭りでした。
 舞台中央で、頭にわらしべを付けているのが私です。
 芝居が終わると、観世さんが出演記念にと、ご自分が持っていたパンフレットをくれました。
 お客さんは、6000円というお金を支払って芝居を観るわけですから、芝居に俄仕立ての素人が入るのは、これは失礼というもので、役者さんたちも、ボロが出ないようになにかと気を遣っているのがわかりました。芝居がしにくかったと思います。
 ただ、刺し子の衣装だけは皆さん大変褒めてくれました。何しろ、民俗資料館に展示している本物ですから・・・
 木下先生から、「屋島玉藻座の一件、愉快な話ですね」というお礼?のハガキをいただきました。
 二度とこんなことはやらないと思ったのですが、これから十数年後、小豆島の国指定重要有形民俗文化財「肥土山の舞台」に観世栄夫、宝生閑さんをお招きして薪能をやりました。
 その話はいずれまた・・・