2009-10-01から1ヶ月間の記事一覧

霞ヶ浦海軍航空隊第八期飛行練習生、通称「操練」となる。

大正十四年七月五日、森川は、航空隊名物の桜並木に生息する蝉のけたたましい鳴き声を聞きながら、大きな檜の一枚板に草書で「霞ヶ浦海軍航空隊」と墨痕凛々大書された看板のかかる隊門をくぐり、白ペンキ塗り木造二階建ての航空隊本部に向かい、仮入隊の手…

森川、憧れの霞ヶ浦海軍航空隊へ

常磐での一日は、夏は午前五時半、冬は六時の総員起こしから始まる。釣り床をすばやく括り、甲板に出てデンマーク式体操とスウェーデン式体操をもとにした海軍体操を行う。続いて甲板洗い、寒風吹きすさぶ真冬でも裸足になり作業ズボンの裾をまくり上げ、ソ…

森川勲、小豆島と別れを告げて海軍へ

大正十三年四月、十八歳を迎えた森川は海軍を志願し、見事合格した。 六月一日、小豆島での教員生活に別れを告げた森川は、四国や九州出身者が入団する佐世保海兵団の門をくぐり、服の色から「カラス」と呼ばれる日給十七銭の海軍四等水兵となった。 日本海…

大空への階(海軍飛行練習生)・名テストパイロット森川勲の生涯を紹介します。

大空への階(海軍飛行練習生) 東瀬戸内海の播磨灘と備讃瀬戸の迫間に浮かぶ子牛の形をした小豆島は、瀬戸内七百余島と呼ばれる島々の中で、淡路島に次いで二番目に大きな島である。 その小豆島の戌亥(北西部)、ちょうど子牛の肩口に位置する四海村(しかい…

瀬戸内海を舞台にグラマンとの死闘です。

古来より子牛の形をしているといわれる小豆島のちょうど肩口に、森川の生まれ育った四海村が位置している。村の沖合には小豊島、豊島が横たわり、その間を空からこぼれ落ちたかのように離れ小島が点在している。それら島と島との間の狭隘な瀬戸は、潮流と同…

お待たせしました。グラマンとの死闘の続きです。『テストパイロット』一等飛行機操縦士森川勲の生涯・光人社NF文庫

ほっとする間もなく、 「十一時にグラマン二機」 副操縦席の岡本が怒鳴るのと同時に、艇内に敵機発見のブザーがけたたましく鳴り響いた。 電信員が九六式空四号無線送信機の電鍵に取り付き、「トン・ツー・ツー・ツー・トン」というセ連送(ワレ敵戦闘機の追…