瀬戸内海を舞台にグラマンとの死闘です。

 古来より子牛の形をしているといわれる小豆島のちょうど肩口に、森川の生まれ育った四海村が位置している。村の沖合には小豊島、豊島が横たわり、その間を空からこぼれ落ちたかのように離れ小島が点在している。それら島と島との間の狭隘な瀬戸は、潮流と同じように海風がワエを巻いて(渦を巻いて逆方向に)吹き抜けている。そこならば上方と側面からの攻撃を受けにくく、被弾した場合、二式大艇を緊急着水させて島の砂浜に乗り上げさせれば、搭乗員と試験飛行のために乗っている技師や計測員が助かる可能性があった。
操縦席の風防ガラスに黒々とした島影が広がり、四海村の沖合まで後少しのところにまで近づいたところで、熊ん蜂のような二機のグラマンは、その高速を利して二式大艇との距離を一気に詰めると、高度二千メートルから降下俯角二十度ほどの緩降下に入り、主翼に搭載している六挺の十二・七ミリ機銃を連射しながら突っ込んできた。
二式大艇の各銃座からグラマンの動向をうかがっていた搭乗員は、敵機が銃撃という合図のブザーを押した。
森川は、とっさにスロットルを絞った。
 グラマンより放たれたオレンジ色の十二・七ミリ機銃弾は、二式大艇の鼻面をかすめ、海面に白い水柱をミシン目のように立ち上らせたが、上昇反転した二機のグラマンは、再び二千メートル付近まで上昇し、それ以上銃撃を加えようとはしなかった。
グラマンは、二式大艇に比べて速度が格段に速い。海面をなめるように飛ぶ二式大艇に、パワーダイブをかけて銃撃を加えようとすれば、海や島に突っ込む怖れがあった。そのためグラマンパイロットは、小島の点在する海域での攻撃を控えたのであった。
しかし、小豆島と豊島との間の狭隘な瀬戸を抜け、右手に女木島、男木島、さらに塩飽諸島、前方に屏風のような屋島が横たわる開けた海に出ると、二式大艇を上空から俯瞰しながら追尾していた二機のグラマンは、鉄板にドリルを揉み込むような甲高い爆音を立てながら舞い降りてきた。
グラマンに搭載されている六挺のコルト・ブローニングM2十二・七ミリ機銃の有効射程距離は三百メートル、空中戦においては百メートル以内にまで肉薄し、二機の内どちらかの照準が二式大艇に整合すれば、すかさず徹鋼焼夷弾を雨霰と撃ち込む。戦闘機の高速化にともないドイツ空軍の撃墜王メルダースが編み出した「ロッテ戦法」と同じように、二機一組の最小編隊で後方を警戒しあいながら一撃離脱を加えるグラマン得意の攻撃であった。
 小豆島の海岸線に沿うように左に旋回しようとする二式大艇を、グラマンパイロットは照準器にはみ出すばかりにとらた。
 尾部の銃座からブザーが鳴るより早く、本能的に銃撃の気配を感じた森川は、フットバーに置いていた右足を踏み込んだ。
森川が、右のフットバーを踏み込むと方向舵は右に曲がり、機首は右を向く。すると飛行機は左翼を前に出し、はすに飛んで左に横滑りした。
グラマンから放たれた機銃弾の火焔の網が、二式大艇の右翼端をかすめた。
 着弾の白い水柱を追いかけるように、銀翼をきらめかせたグラマンが爆音とともに森川の頭上を通り過ぎ、目の前にのめり出た。
(もう一機は)
 と、森川が思う間もなく、右主翼からガン、ガンという衝撃が走り、操縦輪が右にとられ、艇内に火災警報機のブザーが鳴り響いた。
 森川が右翼に視線を走らすと、三番発動機のカウリングに三、四箇所こぶし大の穴があき、白煙とともにどす黒い潤滑油がシュー、シューと噴き出し、炎の赤い舌がカウリングをなめ回していた。
後続のグラマンから放たれた機銃弾が、右翼三番発動機のシリンダーヘッドを砕き、潤滑油タンクと水メタノールタンクを貫いていた。幸いにも翼内燃料タンクに被弾していなかった。航空機用燃料の払底から試験飛行する二式大艇には、最低限の燃料しか搭載されていなかった。空の燃料タンクには残留ガソリンの気化ガスが充満しており、被弾すると一瞬にして爆発する場合が往々にしてあったからである。
三番発動機の火災は、自動消火装置が作動して消えた。
 電信員がセ連送から、「ツー・ツー・ト・ト・ツー」(ワレ敵戦闘機と交戦中)」というヒ連送に打電を切り替えた。
 森川が白煙を吐く三番発動機のスイッチを切ると、身震いするような振動が艇体を駆けめぐり、右に傾きながら速度が落ちていった。
 二式大艇は、パイロットの腕にもよるが、片舷二基の発動機を減軸しても水平飛行が可能であった。森川は方向舵修正タブ、副操縦士の岡本は昇降舵修正タブで艇体の傾きを修正すると、残る三基の発動機のプロペラのピッチを変え、常用回転数限度の赤ブーストプラス百五十、二千三百回転までスロットルを開き、整流環フラップを全開にした。
 二式大艇に搭載されている四基の発動機は、三菱「火星」二十二型空冷式複列星型十四気筒である。ラジエーターで冷却する液冷式発動機と違い、空冷式発動機はプロペラ後流と飛行中に受ける風で冷却される。そのため気象や飛行条件などで発熱量が大きく変わり、これにともない冷却に必用な空気量はたえず変化する。整流環フラップは発動機が必要とする空気量を調整するために装着されているもので、離水時のように速度が遅い割に発動機を高回転させなければならない場合などは発熱を逃がすために開き、巡航や降下のように速度が速い割に回転数が低い場合には、発動機の過冷を防ぐとともに空気抵抗を減少させるために閉じるのである。
森川は、二式大艇を小豆島の海岸線に沿うように飛ばそうとした。
 海抜八百十メートル余りと瀬戸内海の島々の中でもっとも高く、日本三大渓谷の一つである寒霞渓を初めとした小豆島の山々は、海に没するように海岸にせり出している。森川は、海ばかりでなく屹立する峻厳な小豆島の山塊を障壁にしてグラマンの攻撃から逃れようとしたのである。
超低空での空中戦は急激に燃料を消費する。まして戦闘中の燃料の消費量は、巡航速度の三倍から四倍にも達する。帰りの駄賃とばかりに二式大艇を襲った二機のグラマンだったが、高知沖を遊弋する航空母艦に帰らなければならない。森川にとって、グラマンの攻撃から逃げ延びる手だては、時間をいかに稼ぐかにかかっていた。
 突然、左翼からガクッというショックとともに、一番発動機の回転計、吸入圧力計、油圧計などの針が大きく揺れ、ゼロの位置に力無く戻っていった。それに反して、筒温、排気温度計の針が振り切れ、操縦輪が大きく左にとられた。
 換装したばかりの一番発動機には、十分なあたり(慣らし)がついていなかった。少し前から排気管から白煙が流れ出し、筒温は二百六十度、油温は九十度を超え、焼き付く一歩手前であった。
「一番、焼き付き」
岡本が悲壮な声で叫ぶのと同時に左翼一番発動機が、ガクッというひときわ大きな振動を発し、プロペラの回転を止めた。
 発動機の温度上昇が続き、シリンダーとシリンダーライナが過熱膨張して焼き付いたためプロペラは遊転せずナギナタ状態となったのである。
すかさず後方上空から様子をうかがっていた二機のグラマン主翼前縁がオレンジ色に輝き、二式大艇主翼付け根から艇体前部にかけて十二・七ミリ機銃弾が吸い込まれるように撃ち込まれた。
 凄まじい金属音とともに方向探知器機用ループアンテナと天測窓が粉々に吹き飛び、操縦輪を握る森川と岡本に、砕けたガラスやジュラルミン片が霰のように降り注いだ。
 止めとばかりに一連射を加えたグラマンは、二基の発動機から白煙を引きながらあえぎあえぎ飛ぶ二式大艇は墜落するものと判断したのか、高知沖の航空母艦目指して高松方面に機首を巡らせた。
 森川と岡本は残る二基の発動機を制限一杯まで回し、フラップを下げ、テールアジャストはアップ上限、修正タブで細かく微調整して機位の安定と気速百十ノットを維持しようとした。
翼面荷重の小さい二式大艇は、同じ四発大型飛行艇である九七式大艇と違い沈下率が高く、まして回っているのは四基の内二基だけ、それも全力回転である。副操縦席の岡本は、少しでも艇体を軽くするために燃料緊急放出装置を作動させた。
 森川は、振動で瘧病みのように小刻みに震えながら飛ぶ二式大艇を、緊急着水のために機首を風上に向け、降下率毎秒五メートルで高度三十メートルまで降下させ、通常の着水速度八十ノットを下回る失速すれすれの気速七十ノット、機首角度アップ八度で着水させようとした。
 着水速度と機首角度が大きいとポーポイズを起こし、機首から海に突っ込んでしまう。森川と岡本は、高度と気速、機首角度に細心の注意を払いながらプロペラのピッチを下げ、スロットルレバーを絞っていった。
 発動機の推力をゆるめられた二式大艇は、それ自体の重さでゆっくりと降下した。
薄緑の海面がぐんぐんと迫り、目の高さになった。森川と岡本は着水寸前に機首をわずかに引き起こし、二基の発動機をデッドスローにした。
 飛行艇特有のドーン、ガラガラという足元から突き上げるような接水音とともに第二ステップから接水すると、主翼の両端から下に突き出ているフロートが、がっちりと海面をとらえ、白い飛沫を舞上げた。
着水と同時に、艇底の弾孔から海水が噴き上げてきた。森川は水上滑走を続け、小豆島の砂浜に二式大艇を乗り上げさせた。