2010-11-01から1ヶ月間の記事一覧

うくひすや・小林一茶の短冊

小林一茶の短冊 ひょんなことから、小林一茶の短冊(町指定文化財)を見ることができた。 うくひすや軒去らぬ事小一日 一茶 この短冊は、寛政九年(1797年)九月初旬、かねてより書信のやりとりがあった小豆島土庄村大庄屋笠井三郎左右衛門宅を訪れた小…

干満であらわれては消える、エンジェル・ロード

一日に二度、あらわれては消える、エンジェル・ロード 早朝のエンジェル・ロード 潮は小潮のに大潮のようにひいている。 遠くに源平合戦の讃岐屋島が見えます。 昼過ぎ、潮が満ちてきました。 ここ二、三日、潮が異常に高い。 見る見る潮か満ちてきました。 …

エンジェル・ロ-ド 冬の朝日らしくなってきました・・・

冬の朝日らしくなってきました・・・ テストパイロットが愛犬のテツとともに、いつものエンジェル・ロ-ドを渡っていると朝日が昇ってきました。 海苔養殖の船や釣り船が港から沖へ、沖から港へと行き交うようになりました。 一日のはじまりです。 牡蠣打ち…

支那人の「裏と表」・その参

支那人の「裏と表」・その参 内山完造は、1940年に『上海夜話』で、支那人において、物事は現実に則するということが実際である、と述べ、「まず、やってみる。それで支障が出れば、交渉するというのが、植民地支配のノウハウに習熟したイギリス、そして…

尾崎放哉ゆかりの西光寺の大イチョウ

尾崎放哉ゆかりの西光寺の大イチョウ 家の近くの、毎日この大イチョウの木を横目で見ながら通勤しています。 島四国八十八カ所第五十八番札所王子山蓮華院西光寺の境内にある樹齢約350年といわれている町指定文化財「西光寺の大イチョウ」が色づきました…

支那人の「裏と表」・その弐

支那人の「裏と表」・その弐 袁世凱とくれば、わたしたち日本人にも教科書でなじみのある清朝の重臣で李鴻章という中国人がいる。 日清戦争後の日清講和条約(馬関条約)で清国全権となり日本に賠償金2億テールの支払い、遼東半島、台湾、澎湖諸島の割譲、…

全国の三角点・水準点標石は、小豆島産の花崗岩

寒霞渓四方指の三角点標石 寒霞渓で思い出すのは、小学校6年生の遠足ではじめてロープウエイに乗ったことと、この三角点標石のことである。 担任の男の若い先生(すんません。名前を忘れた)が、四方指の展望台で、寒霞渓の景観はそこのけで、この三角点標…

今年の寒霞渓の紅葉  2010/11/21

今年の寒霞渓の紅葉 2010/11/21 昼間は混むので、朝8時に寒霞渓に向かった。家から40分ほどで到着。 寒霞渓は撮影する場所で、いろいろな顔を見せる。これは、ごく一般的な寒霞渓展望台から撮影した。 正面の岩は、落ちそうで落ちない。 下からロ-プウエ…

支那人の「裏と表」・その壱

支那人の「裏と表」その壱 九月に光人社から『奇跡の医師』を上梓して以来、本を読むか、ブログを更新しているか、のどかな日々(仕事は激務、おかげで入院した)をおくっている。 先日、内山完造の『魯迅の思い出』(社会思想社)を再読していると、中国人に…

娘の茶碗

娘の茶碗 高校生となった娘が茶道部に入部した。「お父さん、家で稽古をするのでお茶碗を一つください」と言った。家にあるものは、何でも使ったらいいと言うと、この茶碗を選んだ。 この茶碗は、朝鮮で高麗青磁に取り組んでいた宗高春嶺という備前焼きの陶…

はぐれ雲がみるみる下りて来た・・・

雲が低い・・・ はぐれ雲がみるみる下りて来た。 雲が低い・・・瀬戸内海の島々の中で一番高い(海抜818メ-トル)小豆島の上空は、海風と山風が入り交じり気流が悪いと、二式大艇や紫電改のテストパイロットであった旧川西航空機の森川勲飛行士が言って…

男の顔

男の顔 もう30年以上も前の話ですが、恩師で経済学者の内田義彦先生がある日、「映画や演劇では、学者や研究者を長い髪を両の手でかきむしって呻吟しながら本を読んでいるというイメージで登場させますが、それでは本を踏み込んで読めませんね」と言われ…

瀬戸内の夜明け前

瀬戸内の夜明け前 午前6時10分、愛犬テツをつれて家から3分のエンジェル・ロ-ドです。 ちなみにこのアングルは、小豆島が生んだ壺井栄さん不朽の名作で、昭和27年撮影、木下恵介監督、高峰秀子主演の「二十四の瞳」の冒頭シ-ンです。 明けの明星と海…

秋の黄砂huángshāホワンシャーその②

秋の黄砂huángshāホワンシャーその② 寒霞渓へ紅葉の模様を見に行こうと思ったが、黄砂でこれは無理と撤退、帰り道、黄砂に煙る瀬戸内海にカメラを向けた。 黄砂のおかげで、テストパイロットの鼻はグスグス、喉が痛い。

秋の黄砂huángshāホワンシャーが小豆島を包みこむ。

秋の黄砂huángshāホワンシャーが小豆島を包みこむ。 黄砂で太陽の光が遮られている。 中国西部の砂漠タクラマカン、中部の黄土高原、モンゴルのゴビ砂漠などの砂が低気圧に巻き上げられ、ジェット気流に乗って東に向かい、水分を含んで下降し、日本列島を襲…

尖閣諸島問題・健康な国民、国とは・・・

昨今の中国との関わり合いを思うとき、今はどうか知らないが、大英帝国イギリスは、小学生に、我がイギリスが世界中に植民地を持つことができたのは、アフリカでは部族の酋長から植民地となってほしいと頼まれたからであり、インドや中国では、インド人や中…

棒高跳びの絵皿

棒高跳びの絵皿 20年ほど前、小豆島の古道具屋の店先に無造作に積み重ねられていた皿である。 わたしがこの皿に惹かれたのは、図柄が棒高跳びであったからである。棒高跳びの選手の向こうに日の丸が見える。わたしは、小学校だったと思う(?)、国語の教…

日本と中国、ほんまに一衣帯水の国か・・・

日本と中国、ほんまに一衣帯水の国か・・・ 尖閣諸島問題をはじめとして、中国との関わり合いを語るとき、よく「日本と中国は一衣帯水(いちい たいすい)の国」と言われる。菅首相の10月の臨時国会の所信表明演説で「日中両国は、一衣帯水のお互いに重要…

明治の三筆のひとり、巌谷一六の書

明治の三筆のひとり、巌谷一六の書 テストパイロットは、時折巌谷一六が明治33年3月書いたこの書をとりだしてはながめている。 明治の人の気魄が、この書からうかがえる。 巌谷一六(いわや いちろく)、本名は修(幼名は辨治)、字を誠卿といい、一六は…

鈴なりのユズが語る・・・

鈴なりのユズが語る・・・ 家の近く、「咳をしてもひとり」で有名な尾崎放哉終焉の庵である南郷庵の裏手にある家のユズの木が今年も鈴なりの実をつけている。 去年もそしてその前も、このユズの木は鈴なりの実をつけていたが、実はもがれることなく地面に落…

生きたワタリ蟹が一匹100円

生きたワタリ蟹が一匹100円 商業祭で、看板を書くようにと頼まれたテストパイロットが開会前の会場に足を踏み入れると、漁師の人がワタリ蟹とタコを売っていた。生きたワタリ蟹が小さいながらも一匹100円、タコが500円であった。 漁師のおっちゃん…

赤電話の貯金箱

赤電話の貯金箱 昭和60年(1985年)、電電公社が民営化となった。しばらくすると、顔見知りのNTTとなった職員がわたしの職場にやってきて、赤電話を貯金箱にして売り出すので、一台買わないかと言う。聞いてみると、赤電話の貯金箱を売りに行くよう…

尖閣列島問題に、魯迅曰く「俗に大人しいは、一名能なし」

魯迅は、1926年『莽原』第1号の「フェアプレイはまだ早い」において、「俗に大人しいは、一名能なし」ーーそれは人に悪事をそそのかす言葉ではなく、たくさんの苦い経験をなめたはてにでてきた警句であるーー人は、ありとあらゆる悪事をはたらくが、そ…

蜜柑、色づきはじめました。

蜜柑、色づいてきました。 色づき始めた蜜柑 畑の片隅に挿し木した温州蜜柑。挿し木したばかりなのに、こんなに大きな蜜柑が鈴なりになった。地面に近い実ほど甘い。 去年、アホほどなったユズ、知り合いから今年も実をとらせて欲しい、ユズが欲しいと言われ…

古い伊万里焼のダメ親父の絵皿五枚

古い伊万里焼のダメ親父の絵皿五枚 小豆島の古道具屋でホコリまみれ、無造作に積まれていた五枚組の伊万里のダメ親父の皿五枚。 手にとってためつすがめつ眺めていると、古道具屋のじいさんは、わたしが買うと思ったのか、「古い伊万里や、五枚で25000…