#俳句、川柳

玄関の掃除をしていたら(笑み)

玄関の掃除をしていたら(笑み) 小説家の吉村昭氏 小豆島尾崎放哉記念館に建立された吉村昭氏揮毫の放哉の句碑 小説家の吉村昭さんが、昭和55年に小豆島を終焉の地とした自由律俳句の尾崎放哉の取材に来たとき、わずかながら取材のお手伝いをしたことがあり…

綺麗です、小豆島尾崎放哉記念館の桜の紅葉 霜葉は二月の花よりも紅なり

綺麗です、小豆島尾崎放哉記念館の桜の紅葉 霜葉は二月の花よりも紅なり いつものようにテツをつれて早朝のエンジェルロードへ行くと朝陽が綺麗、足を伸ばして小豆島尾崎放哉記念館へ向かうと、裏庭の桜が朝陽を浴びて綺麗でした。 落ち葉もいいものです。 …

咳をしても一人・・・孤高の俳人・尾崎放哉の食事

咳をしても一人・・・孤高の俳人・尾崎放哉の食事 テストパイロットの家から300メートルほどのところに南郷庵、今は小豆島尾崎放哉記念館がある。大正時代末にこの庵で死んだ尾崎放哉記が食べていた食事が再現されていた。 尾崎放哉 放哉は一高・東大とエ…

樹齢300年小豆島西光寺の大銀杏と孤高の俳人尾崎放哉

樹齢300年小豆島西光寺の大銀杏と孤高の俳人尾崎放哉 土庄町指定天然記念物「西光寺の大銀杏」、今年は師走になっても、まだ葉が青い・・・ この大銀杏の根本に自由律俳句の両巨人、尾崎放哉と種田山頭火の句碑があります・・・ 西光寺の奥の院南郷庵は、…

尾崎放哉記念館のポスター、出来ました!!

小豆島尾崎放哉記念館のポスター、出来ました!! 咳をしても一人・・・ 土庄港から車で5分、エンジェルロード、小豆島国際ホテルから徒歩5分です。 尾崎放哉は一高・東大とエリートコースをたどり、保険会社の要職にもつくが、世に入れられず酒に溺れ退職…

小豆島で尾崎放哉忌が行われました。

小豆島で尾崎放哉忌が行われました。 尾崎 放哉(おざき ほうさい、本名: 尾崎 秀雄(おざき ひでお)、1885年(明治18年)1月20日 - 1926年(大正15年)4月7日)は、日本の俳人。種田山頭火らとならぶ自由律俳句のもっとも著名な俳人の一人である。 放哉は…

雲仙小浜温泉・山頭火の句碑

雲仙小浜温泉・山頭火の句碑 宿泊した小浜温泉の国民宿舎「望洋荘」の裏手に漂白の俳人種田山頭火の句碑があるということで、いつものように暗いうちから起き出してうろうろとした。 山頭火の句碑は、「国崎」という旅館の玄関脇にあった。 「さびしくなれば…

尾崎放哉が愛した南郷庵のお地蔵さん

尾崎放哉が愛した南郷庵のお地蔵さんたち 新しいよだれ掛けをかけてもらい、お地蔵さんは喜んでいる。 頭が欠けているお地蔵さん。痛くないのか・・・ 彼岸が来たので新しいよだれ掛けをかけてもらい、花を供えてもらっている。 結核を悪化させ病臥の身とな…

流浪の俳人尾崎放哉終焉の地・南郷庵の朝

流浪の俳人尾崎放哉終焉の地・南郷庵の朝 昨日と同じく穏やかな備讃瀬戸の海と日の出です。 流浪の俳人尾崎放哉終焉の地・南郷庵へと向かう。 『海も暮れ切る』の著者である吉村昭氏の筆になる。 尾崎放哉が朝に夕に使った南郷庵の井戸と通った銭湯「三日月…

4月7日の放哉忌には、南郷庵の桜も満開でした。

放哉忌に、多くの人が墓参しました。 4月7日の放哉忌には、南郷庵の桜も満開でした。 私の家から歩いて3分ほどのところに、南郷庵(みなんごあん)という小庵があり、大正十五年四月、尾崎放哉という「咳をしても一人」「足のうら洗へば白くなる」「入れ…

うくひすや・小林一茶の短冊

小林一茶の短冊 ひょんなことから、小林一茶の短冊(町指定文化財)を見ることができた。 うくひすや軒去らぬ事小一日 一茶 この短冊は、寛政九年(1797年)九月初旬、かねてより書信のやりとりがあった小豆島土庄村大庄屋笠井三郎左右衛門宅を訪れた小…

母親の句集、作りました。

母親が俳句をしているので、句集を作りました。サイズはB6版。兄弟や友人に贈りたいということで10部作りました。題字はテストパイロットが和紙に書いたものを貼り付けました。 俳句に写真を入れると、たとえば餅つきなどの風物詩、写真が俳句の内容を補…

荻原井泉水・筍の俳画

荻原井泉水の俳画、今でいう筍の絵手紙である。井泉水は俳画をよくし、おびただしい作品を残しているが、礼状などにも素朴な絵を添えている。 オギワラセイセンスイ Ogiwara, Seisensui 1884年06月16日~1976年05月20日 自由律俳句の俳人。本名、荻原藤吉。…

再び・北朗の壺

3月21日に尾崎放哉の友人の内島北朗の壺を紹介しましたが、小生のブログを見た小豆島の方から、こんなのがあるよと、昭和42年に荻原井泉水と内島北朗とが高松の三越で俳画と作陶展を開催した際のハガキを提供してくれました。 放哉の臨終の際にかけつけ…