咳をしても一人・・・孤高の俳人・尾崎放哉の食事

咳をしても一人・・・孤高の俳人・尾崎放哉の食事
 
 
イメージ 1
 テストパイロットの家から300メートルほどのところに南郷庵、今は小豆島尾崎放哉記念館がある。大正時代末にこの庵で死んだ尾崎放哉記が食べていた食事が再現されていた。
 
 
イメージ 2
尾崎放哉
 
 放哉は一高・東大とエリートコースをたどり、保険会社の要職にもつくが、世に入れられず酒に溺れ退職に追い込まれる。以後漂泊の旅を続け、大正十二年京都の一燈園で托鉢生活に入る。その後京都、須磨、小浜の寺々の寺男となり転々とする間、膨大な俳句を詠み才能を見事に開花させていった。
 小豆島へは大正十四年八月に来島、西光寺奥の院南郷庵「みなんごあん」の庵主となる在庵わずか八カ月の間病苦に苛まれながらも三千句に近い俳句を作り翌年四月孤独のまま生涯を終えた。
 亨年四十一歳 戒名は大空放哉居士 墓は庵近くの共同墓地の中にある。記念館は平成六年に当時の南郷庵を復元したものである。
 
イメージ 3
尾崎放哉が終焉の地とした大正時代の南郷庵
 
 焼米に焼豆、らっきょに梅干し、飲むものといえば番茶・・・放哉が臨終間際に欲したのが牛肉の缶詰とスリーキャッスルという煙草だったそうです。
 暴飲暴食のテストパイロットは、しばし反省をいたしました。
 
 
ブログ村ランキングに参加しています。
どうか皆さん、見たらポチッとクリックをお願い致します!!