今日4月7日は、小豆島尾崎放哉記念館で『放哉忌』が催されます。

今日4月7日は
小豆島尾崎放哉記念館で『放哉忌』が催されます。

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小豆島尾崎放哉記念館

 テストパイロットの家から歩いて3分ほどのところに、南郷庵(みなんごあん)という小庵があり、尾崎放哉という「咳をしても一人」「足のうら洗へば白くなる」「入れものが無い両手でうける」など、種田山頭火とならぶ自由律俳句の傑作を残した俳人が小豆島に流れ来て、大正15年4月7日、ここを終焉の地としました。

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尾崎放哉
 本名・尾崎秀雄。明治十七年一月、鳥取市に生まれる。県立鳥取第一中学校から第一高等学校第一部甲類(英語)を経て三十八年、東京帝国大学法科大学に入学、四十二年卒業。東洋生命、朝鮮火災海上などで十年余のサラリーマン生活をおくるも、人間不信と過度の飲酒から妻と職を捨て西田天香主宰の一燈園に入園。その後京都の常称院、福井小浜の常高寺、兵庫の須磨寺などの堂守や寺男として各地を流旅。大正十四年八月、安住の地をもとめ小豆島に渡り来て、島四国八十八ヶ所第五十八番札所西光寺奥ノ院南郷庵の庵守となるが、かねてより患っていた喉頭結核を悪化させ、十五年四月七日、庵の裏手に住む南堀トメという漁師の老婆に看とられ、四十二歳で死去。

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 尾崎放哉の「咳をしても一人」とならぶ代表作である、「入れものがない、両手でうける」の句碑。放哉没後に俳友であり先導者であった荻原井泉水が自ら筆をとり建立した。

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南郷庵の裏手の桜が満開です。

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尾崎放哉は、句作に疲れると南郷庵の裏手の小窓から海を眺めていたそうです。

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           小説家の吉村昭が自ら筆をとった句碑です。
 
 今日は、「放哉忌」です。今から行ってきます・・・
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