「咳をしても 一人」 四月七日は、放哉忌

「咳をしても 一人」
四月七日は、放哉忌

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 四月七日は、小豆島の海辺にある南郷庵という小庵でその最期を迎えた孤高の俳人、尾崎放哉の命日を記した放哉忌でした。

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             尾崎放哉 明治十八年~大正十五年 鳥取生まれ
 放哉は一高・東大とエリートコースをたどり、保険会社の要職にもつくが、世に入れられず酒に溺れ退職に追い込まれる。以後漂泊の旅を続け、大正十二年京都の一燈園で托鉢生活に入る。その後京都、須磨、小浜の寺々の寺男となり転々とする間、膨大な俳句を詠み才能を見事に開花させていった。
 小豆島へは大正十四年八月に来島、西光寺奥の院南郷庵「みなんごあん」の庵主となる在庵わずか八カ月の間病苦に苛まれながらも三千句に近い俳句を作り翌年四月孤独のまま生涯を終えた。
 亨年四十一歳 戒名は大空放哉居士 墓は庵近くの共同墓地の中にある。記念館は平成六年に当時の南郷庵を復元したものである。

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 尾崎放哉についてテストパイロットもエッセイを書いているので、ブロ友の皆さん、読んで下さいね(笑み)

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 流浪の果て、尾崎放哉が頼っていった島四国五十八番札所西光寺、放哉はこの寺の奥の院である南郷庵の庵守としてその最期を、庵の裏手に住んでいたテストパイロットの曽祖母に看取られながら亡くなりました・

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今年も、島四国八十八カ所をめぐるお遍路さんがやって来ました。

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南無大師 遍照金剛 春の海・・・

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西光寺の境内には、放哉とともに自由律俳句の種田山頭火の句碑があります。

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 酒好きの放哉を偲んでということで、まあ一杯いこうとお酒をすすめられました。これがうまくて、一杯、また一杯とお酒がすすみました・・・

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テストパイロット家の庭には、放哉が好きだったボケの花が咲いています。

 また、昼間からお酒を呑んでしまいました。でも、尾崎放哉を偲んでのお酒ですので、しかたありません(苦笑)

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