支那人の「裏と表」・その弐

 
支那人の「裏と表」・その弐
 
   袁世凱とくれば、わたしたち日本人にも教科書でなじみのある清朝重臣李鴻章という中国人がいる。
 日清戦争後の日清講和条約(馬関条約)で清国全権となり日本に賠償金2億テールの支払い、遼東半島、台湾、澎湖諸島の割譲、威海衛の占領などを認めたことから、今日まで日本では李鴻章を、単なる軍閥の親分、馬鹿者扱いにしているように思うのだが、はたして李鴻章は、わたしたち日本人が思うほど政治家、外交官として無能であったのだろうか。
「日本勝った、支那負けた」の李鴻章に、このようなエピソードが残っている。
 李鴻章が清国使節団を率いて渡欧し、ヴィクトリア女王に拝謁したときのこと。ヨーロッパ留学を経験している李鴻章は欧米の礼儀作法に精通していたにもかかわらず、ヴィクトリア女王の前に額ずき、顔を上げるや、あろうことか開口一番、大英帝国の女王にたいして年齢をたずねたのであった。
 中国では、相手の年齢をたずねるのは至極礼節にかなった行為であるが、欧米で女性に年齢をたずねるのは、無礼中の無礼である。それまで威厳をもって接見していた女王はうろたえ、居並ぶ国会議員、文官、武官も驚愕したのである。さあ、翌日のイギリス中ならず欧米の新聞が、一面でデカデカと李鴻章と清国使節団のことを書き立てたのである。李鴻章は、その新聞を買い集め、一人ニタリニタリと悦に入っていたといわれている。
 なぜなら、それまで欧米の新聞は、李鴻章と清国使節団のことを記事にしなかったからである。
 会談において、メモを見て話をする。相手の目を見ない、どこかの国の総理大臣に、これだけのナショナル・アイデンティテイがあるのか。
 わたしたちは、甘くは考えてはいないか、中国という国とそこに住む人々とを・・・