娘の茶碗

娘の茶碗
 
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 高校生となった娘が茶道部に入部した。「お父さん、家で稽古をするのでお茶碗を一つください」と言った。家にあるものは、何でも使ったらいいと言うと、この茶碗を選んだ。
 
 
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 この茶碗は、朝鮮で高麗青磁に取り組んでいた宗高春嶺という備前焼きの陶工が終戦とともに帰国、小豆島に流れ来て小さな窯を築いて「妙見焼」と名付け、土産物の湯飲みや茶碗を造って細々と生計を立てていた。
  この茶碗は、知り合いの老人から青磁の湯飲みと三島暦手の香盒とともにいただいたもので、青磁の湯飲みは愛用していたが、残念ながら割ってしまい、雲鶴紋の香盒は、女優の山本安英さんが『子午線の祀り』 高松公演にきたとき、山本さん縁の「夕鶴」にちなんでオリ-ブ油とともに差し上げたため、今は手元にない。
  小豆島の無名の陶工が、食わんがために作ったものだが、こっくりとして手になじみ、茶うつりがいい。
  これで高校在学中、娘は折々茶をたててくれたが、その娘も今は大学生となって小豆島を出て家にいない。