男の顔

 
             男の顔
                                       
 もう30年以上も前の話ですが、恩師で経済学者の内田義彦先生がある日、「映画や演劇では、学者や研究者を長い髪を両の手でかきむしって呻吟しながら本を読んでいるというイメージで登場させますが、それでは本を踏み込んで読めませんね」と言われたことがある。
 内田先生は、大学の先生、学者というより、職人の親方のような顔を、雰囲気を持ってい
た。
 こう思っていたのは、わたし一人ではなかった。
 それは、内田先生が関西汽船の別府航路
の船中でのこと。
 隣り合わせた婦人会の人と四方山話をしていたところ、話をしていた一人の婦人から、しめ鯖の作り方を教えて欲しいと言われた。内田先生が、「しめ鯖ですか・・・」と目を白黒させていると、「あなたは板前の親方さんでしょう」と言われ、返答に窮したことがあったそうである。
「西洋料理と和食の哲学の違いなら、なんとか答えることができますが、しめ鯖の作り方とは、まいったね」と、笑みを浮かべながら、わたしに話してくれたことがあった。
 内田先生は、婦人会の人から板前の親方と間違えられたことが、いかにもうれしそうであった。
 世の中、大学の教授、学者らしい顔と雰囲気を漂わせている人は、たくさんいる。しかし、板前の親方や大工の棟梁のような職人の風格の教授、学者は少ない。
 そういえば、内田先生の友人で劇作家の木下順二さんも、板前の親方のような風格を漂わせていた。
 若き日のテストパイロットも、年をとったら内田先生のように職人の風格を持つ人に、顔になりたいと思っていたが、五十いくつを過ぎても、鏡の中のテストパイロットの顔は、下卑たもので、なんともやるせない。
 拙著「奇跡の医師」の主人公である頓宮寛の顔と風格もそうである。写真を見るたびに、惚れ惚れするとともに、同じ男なのに、我ながら情けなく思っている・・・