支那人の「裏と表」・その参

支那人の「裏と表」・その参
 
 内山完造は、1940年に『上海夜話』で、支那人において、物事は現実に則するということが実際である、と述べ、「まず、やってみる。それで支障が出れば、交渉するというのが、植民地支配のノウハウに習熟したイギリス、そしてそのイギリスに苦しめられた支那式である。日本人は、まず権利、利権を確保してから行動する」と日本人と中国人の相違点を指摘している。
 そう考えると、今回の尖閣諸島衝突事件は、納得できる。
 まず、事件(衝突)を起こす、日本がもたもたしている隙を突いて、中国の領土であると主張する。日本政府が「日本と中国に領土問題は存在しない」などという、悠長な答弁をしているうちに付け入られて、いつの間にか尖閣諸島が領土問題の土俵に引きずりあげられて、あたかも尖閣諸島は中国の領土だと主張する。竹島の韓国しかり、北方領土のロシアしかり・・・
 今から70年前、内山完造は、次のよう注意を喚起している。
「私は日本人がよく云う支那人は形式的な人間であると云う考え方は間違って居ると思う。それと反対に支那人は余りにも実際的なるが故に、法治国を造り得ないであると思うのである。
 つまり、この事変後支那はどうなるのか、吾々は一体支那人に対してどうしたらよいのか、先ず何と云っても、私は支那を知ると云う事がその第一であり、支那の庶民を知ると云うことが、最も重要な事であると思う。
 そこで私の書いた事は政治とか財政とか経済とかむつかしい方面ではなくて、最も普遍して居る庶民生活の中から拾うて見たのである。
 結局、漫談ではあるが、これが何かのご参考になれば幸である」
 
 70年前、内山完造はこう述べているが、これを参考とした日本人は、これまでいったい何人いたのであろうか・・・
 個人のレベルならば、隣人が気に入らない、つきあいたくないと思えば、無視をする。つきあいをしないということを選択できる。どうしてもいやならば、引っ越すことができるが、国は、無視をする、いわんや引っ越すことなどできない。
 一衣帯水の国である中国、上海万博で孫文梅屋庄吉との交流が取り上げられたとか・・・そんなこと言って、甘く曇った目で、中国という国、そこで蠢く14億の人々を見ていると、判断を誤るのではないか・・・