日本と中国、ほんまに一衣帯水の国か・・・

日本と中国、ほんまに一衣帯水の国か・・・
 
   尖閣諸島問題をはじめとして、中国との関わり合いを語るとき、よく「日本と中国は一衣帯水(いちい たいすい)の国」と言われる。菅首相の10月の臨時国会所信表明演説で「日中両国は、一衣帯水のお互いに重要な隣国」と表明するなど、与党、野党、評論家を問わず、話の口切りや結論によく使う言葉である。
 この一衣帯水という四字熟語は、一、衣、帯、水・・・曖昧模糊としているけれども、隣国中国とは仲良くしなければならないと思わせる、なんとなく納得させる言葉であるからであろう。
 無学なテストパイロットもまた、この四字熟語の意味を、一つの衣や帯を共有するほどのつきあいと漠然とイメ-ジしていた。
 ところが、岩波ジュニア新書の『漢語の知識』一海知義著をなにげなく読んでいると、この一衣帯水という四字熟語について、次のように書かれていた。
 一衣帯水は、言葉の意味からいけば「いちい たいすい」ではなく、「一(いち) 衣帯(いたい) 水(すい)」と読まなければならない。これでは口調が悪いので「いちい たいすい」と言われている。つまり、「着物の帯のような細い川(水)」という意味であると書かれていました。(水は中国では湖や川をさす)
 この意味からいけば、一衣帯水の国といえば、細い川をはさんだ、ほんのひとまたぎの国ということになる。なるほど、日本と中国は、まさに一衣帯水の国と納得していたら、次に、一衣帯水の出典にふれていた。
 
 我ハ百姓ノ父母ナリ。豈ニ一衣帯水ニ限ラレテ、コレヲ拯ハザルベケンヤ。

 南の陳国の百姓(人民)たちは、酒食におぼれた陳の皇帝のもとで、たいへん苦しい生活を強いられている。その苦しみを思えば、百姓の父母たるこのわたしが、帯のように細い川などにはばまれ、救いにゆかずにおかれようか--一海先生はこの言葉の出典を、六世紀、随の文帝は揚子江をへだてた陳国に攻めこむとき、このようにいったと『南史』の陳後主紀にみえると書いていた。
 
 これでは、一衣帯水が、中国最大の大河揚子江をさす言葉になってしまう・・・と思っていたら、揚子江はけっして帯のように細い川ではない。大きな障害物を小さなものに見立てる、そういう意味がこの言葉にこめられていたということは、なかなか象徴的ですと述べている。
 テストパイロットは、「一衣帯水」という四字熟語は、一つの衣や帯を共有するほどのつきあいとか、隣の国、距離が近いという甘い言葉ではない、と思い知らされました。
 一海先生は、一衣帯水について、つぎのように締めくくっています。
「しかも現在、両国民はほんとうに深く理解しあっているでしょうか。物理的な意味での距離はたしかに近い国ですが、おたがいよくわからない部分が、まだまだあるように思います。したがって一衣帯水ということばをあまり安易に使わないほうがよい、というのがわたしの意見です。将来、文字どおり一衣帯水の国になるために。」
 岩波ジュニア新書の『漢語の知識』が発刊されたのは、今から30年前の昭和56年である。日本と中国は30年間、お互いに深く理解するための努力をしてきたのか。テストパイロットのように、甘く考えていたのではないか・・・