大島とハンセン病の関わり合い。

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屋島の北西約1kmの海上に浮かぶ大島は、

【面積】0.73平方km
【周囲】5.5km
【世帯数】137世帯(2005.10.1)
【人口】197人(2005.10.1)

 古くは源平合戦の戦場にもなった島で、屋島の大合戦に敗れた平家方の墓に植えられた松が、800年の歳月を経て、「墓標の松」として残っている。江戸期には高松藩最大の島として山守りが置かれ、明治時代には10戸ほどが半農半魚の生活を営んでいた。
 もともとは2つの島からなり、砂洲でつながっていた。中央の平坦部には明治42年に中国・四国8県連合のハンセン病の療養施設として設立された国立療養所「大島青松園」がある。
 同時期に設立されたのが、小豆島の北側に位置する岡山の日生にある長島愛生園である。映画「小島の春」などで広く世に知られるようになった。
 強制的に収容されたハンセン病の患者さんの中には、故郷を忘れ難く、園を抜け出す人もいたが、孤島ゆえ島外に出ることはかなわなかった。そのような患者さんが再び収容されると、各療養所に設けられた監禁室に監禁された。
 瀬戸内の島々には、大島の西に浮かぶ女木島が鬼ヶ島伝説が、小豆島には壺井栄の「二十四の瞳」残っているように、哀しい歴史があります。