#ノンフィクション、エッセイ

日本人の手で初めて設計、製作された四発大型飛行艇である川西九七式大艇

日本人の手で初めて設計、製作された四発大型飛行艇である川西九七式大艇 戦前、希代のテストパイロットと謳われた森川勲一等飛行機操縦士が、小豆島四海地区伊喜末の自宅の玄関に掛けていたのが、この日本人の手で初めて設計、製作された四発大型飛行艇で…

テストパイロットの毒言独語・ 第1話・『口入れ屋が、民を、国を滅ぼす』

テストパイロットの毒言独語 はじめに 昨年の暮れ、ひさしぶりに出版社からエッセイの依頼がきました。ああ、原稿用紙8枚、すぐ書けると思っていたら、締め切りを一ヶ月間違えていて、あわててパソコンにむかいましたが、これが書けない、四苦八苦しました…

テストパイロットの曽祖母が世話をして、その最期を看取った自由律の俳人尾崎放哉の本が出ました。

テストパイロットの曽祖母が世話をして、その最期を看取った自由律の俳人尾崎放哉の本が出ました。 テストパイロットもエッセイを書いています。全国のブロ友の皆さん、読んで下さいね(笑み) http://www2.netwave.or.jp/~hosai/logo/profile01.gifhttp://w…

忘れ得ぬ本と人・『花埋み(はなうずみ)』 渡辺淳一先生

忘れ得ぬ本と人・『花埋み(はなうずみ)』 渡辺淳一先生 渡辺淳一先生が勤めていた札幌医科大学を辞して東京に出てきたばかりの1969年、なんとか小説家で一本立ちをしようとあがいていた初期の作品である。 女に学問はいらないという風潮の明治初期、医学…

世に疎いテストパイロットですが、今話題の百田尚樹さんの『永遠の0ゼロ』、読みました。テストパイロットのブログをのぞいているブロ友の皆さんやアトランダムに立ち寄ってくれる皆さんに、訴えたいことがあります

世に疎いテストパイロットですが、今話題の百田尚樹さんの『永遠の0ゼロ』、読みました。テストパイロットのブログをのぞいているブロ友の皆さんやアトランダムに立ち寄ってくれる皆さんに、ぜひ知って欲しいことがあります・・・ テストパイロットは、今話…

昼は働き、夜に書く、はずだったのだが・・・

昼は働き、夜に書く、はずだったのだが・・・ 暮れなずむ小豆島の海 テストパイロットは、小豆島のしがないサラリーマン、2009年9月5日にブログをはじめるまでは、昼は働き、夜に趣味の文章を綴るという生活を送っていた。それが、ブログがおもしろく…

『志に生きた男・奇跡の医師頓宮寛 ⑫』

『志に生きた男・奇跡の医師頓宮寛 ⑫』 頓宮寛の故郷・小豆島土庄町小部 昭和二十二年九月十日、それまでの内海五ヶ町村組合立内海病院を、一町五村(草壁(くさかべ)町(ちょう)・安(やす)田(だ)村(むら)・苗(のう)羽(ま)村(むら)・坂(さか)手(て)村(むら)・…

昭和20年4月1日、緑十字を付けた救恤輸送船「阿波丸」、無警告で不法撃沈される!!

「阿波丸事件」 昭和20年4月1日、緑十字を付けた救恤輸送船「阿波丸」、無警告で不法撃沈される!! 昭和二十九年四月初旬のある日、岡本が新聞を携えて分教場にやってきた。 定期船のない小豊島では、新聞とは無縁の生活であった。 「勲さん、兄と阿波…

『志に生きた男・奇跡の医師頓宮寛 ⑪』

『志に生きた男・奇跡の医師頓宮寛 ⑪』 上海福民病院院長 頓宮 寛 博士 昭和18年3月撮影 辻政信と頓宮寛との重慶工作の失敗は、総軍内部での根回しの不足、辻の幼年学校、士官学校首席、陸大恩賜組(四十三期・三番)という経歴、派手なスタンド・プレー…

『志に生きた男・奇跡の医師頓宮寛 ⑩』

『志に生きた男・奇跡の医師頓宮寛 ⑩』 内地滞在二ヶ月あまり、昭和十八年の師走も押しつまったある日、頓宮は海軍の大西瀧治郎軍令部長(中将)に、ぜひ会ってくれと頼まれた。 大西瀧治郎軍令部長から、頓宮先生はひとまず上海にもどり、南京総軍に蔣介石…

東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ

東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ 「ひむかしののにかぎろひのたつみえて、かへりみすればつきかたぶきぬ」 柿本人麻呂 万葉集 エンジェルロードから東の方小豆島三都半島を見ると朝陽の光がさしはじめている。頭をめぐらして西の方を見ると有…

『志に生きた男・奇跡の医師頓宮寛 ⑨』

『志に生きた男・奇跡の医師頓宮寛 ⑨』 昭和六年九月の満洲事変以来、翌七年七月の第一次上海事変、十二年七月の蘆溝橋事件、八月の第二次上海事変、十二月の南京陥落と中国戦線は、藤原義江が歌い大ヒットした『討(とう)匪(ひ)行(こう)』の「どこまでつづく…

『志に生きた男・奇跡の医師頓宮寛 ⑧』

『志に生きた男・奇跡の医師頓宮寛 ⑧』 一部の中国人から指弾されようと、七階建の本館が完成し、「日本人でも、このような病院が造れるのだ」とか「東洋一の個人総合病院」と謳われるようになった頓宮の福民病院には、第一次上海事変以前より中国人患者が飛…

『志に生きた男・奇跡の医師頓宮寛 ⑦』

『志に生きた男・奇跡の医師頓宮寛 ⑦』 頓宮は、上海の裏社会を支配していた青幇の活動の一端を、昭和三十五年に書いた『満洲事変不拡大工作、嗚呼、母国の危機を余所に先ず自己の点数を』で、次のように述懐している。 「満洲事変(中国人は満洲と申しませ…

『志に生きた男・奇跡の医師頓宮寛 ⑥』

『志に生きた男・奇跡の医師頓宮寛 ⑥』 頓宮は、晩年(昭和三十五年五月)、『日本人国民性の盲点か』という一文を残している。 「先般NHKテレビで「日本の素顔」題下の「せり合い経済学」を見ました。 最初の例はタイ国メナム河鉄橋工事請負人の入札競争…

『志に生きた男・頓宮寛 ⑤』

『志に生きた男・頓宮寛 ⑤』 大正十三年七月二十七日、二十八日の二日間にわたり、頓宮が会長をつとめる上海亜細亜協会は、『亜細亜民族の覚醒と団結を目指す』というテーマの講演会を、日本人倶楽部において催した。 二ヶ月前の五月二十六日、アメリカ合衆…

『志に生きた男・頓宮寛 ④』

『志に生きた男・頓宮寛 ④』 大正十一年に入ると頓宮は、王震をはじめとした上海の中国人有力者や愛知県立医学専門学校(現・名古屋大学医学部)出身で上海南洋医学専門学校の校長をつとめる顧南群などから、「中国には近代的な西洋医学を習得した西医があま…

『志に生きた男・頓宮寛 ③』

『志に生きた男・頓宮寛 ③』 大正七年春、頓宮寛は日本医学専門学校教授の職を捨てて中国大陸、それも辺境の地である湖北省大冶の鉱山の病院へ、トランク二つたずさえて赴任したころのことを、次のように述懐している。 「前面には海の如き揚子江を隔てゝ沃…

『志に生きた男・頓宮寛 ②』

『志に生きた男・頓宮寛 ②』 大正七年春まだ浅き三月、大冶行きを決意した頓宮は、出発に際し恩師田代義徳帝大教授をたずね、別れの挨拶をしている。 「大正七年第一次世界大戦中隣邦大陸を志し、鉄鉱では東洋一の湖北省大冶漢冶萍煤鉄公司院長として渡航、…

『奇跡の医師』 光人社

『奇跡の医師』 光人社 大正7年3月、日本医科大学教授の職を辞して対華21ケ条要求で排日救国の嵐が吹き荒れる中国にトランク二つをたずさえて渡り、「中国で生活するからには、中国の言葉を使い、風俗伝統習慣を尊重する」という国際感覚と「中国人であ…

『昭和の二刀流ビルマに死す』 光人社NF文庫

『昭和の二刀流ビルマに死す』 光人社NF文庫 昭和9年5月に宮城内濟寧館において挙行された「皇太子殿下御誕生奉祝天覧武道大会」に、高松の仏生山郵便局に勤める21歳の青年剣士藤本薫三段は、右手に小刀、左手に長刀という逆二刀で、全国の並み居る強…

『テストパイロット』 光人社NF文庫

『テストパイロット』 光人社NF文庫 本書の主人公の森川勲さんは、大正14年8月から昭和20年8月までの20年間の間に、複葉木骨麻布張りのイギリス製アブロ水上練習機にはじまり、川西局地戦闘機「紫電改」まで、30数機にも及ぶ試作機や国内外の最…

『長安 百花の時』・筧文生著、理論的で時論の本

『長安 百花の時』・筧文生著 中国文学の泰斗立命館大学名誉教授筧文生(かけひふみお)先生が、これまで市民講座や講演会、研究会で話したこと、中国での学界でのことなどを書き下ろしたものである。 本書は、Ⅰ、講演記録・Ⅱ、華国紀游・Ⅲ、新歳時記・Ⅳ三言…

「お前はいつ寝ているのか」というお叱り

「お前はいつ寝ている」というお叱り テストパイロットのブログを覗いている人から、「夜中の2時、3時に更新しているが、お前はいつ寝ているのか」という指摘をうけた。これも考えてみれば、その通りである。 テストパイロットは、仕事から帰ると、まずビ…

壺井栄さん、『桃栗三年柿八年 柚子の大馬鹿十八年』

桃栗三年 柿八年 柚子の大馬鹿 十八年 小豆島の小さな分教場で、若いおなご先生と12人の教え子との師弟愛と戦争反対を描いた名作「二十四の瞳」で有名な小豆島出身の作家、壺井栄さんが好んで書いた、「桃栗三年柿八年、柚子の大馬鹿十八年」の碑文である…

『職人衆昔ばなし』 斉藤 隆介著 文春文庫

『職人衆昔ばなし』 斉藤 隆介 文春文庫 1959年に雑誌『室内』に掲載され、67年に文藝春秋社から単行本として、79年に文春文庫となったもので、奥付を見ると1979年8月25日第1刷となっている。たぶん大学生の頃に購入したものと思う。 諸職…

日本人が多く住んだ上海北四川路のスワンホテル

宿舎は上海北四川路 魯迅記念館が用意してくれた宿舎は、戦前、日本人が多く住んでいた上海北四路のスワンホテルであった。 むろん、南京路などの観光スポットではないため、日本人観光客など皆無、泊まっているのは中国人と台湾人、そし外人であった。 魯迅…

スモッグに煙る上海

晴天なのに、上海市内はスモッグで煙っていた。 17日、午前9時25分発、ANA919便で上海に向けて出発・・・ 成田の飛行場で離陸前、飛行機が多く集まっていたので、写真を撮ろうとしたところスチワ-デスさんに「写真撮影は禁止です」と、やんわり怒ら…

上海へ・成田のホテルはリーズナブルで便利

成田空港でのホテル 上海への航空便がAM9・25分発ANA919便のため、宿泊したのが成田エアポートレストハウスである。 http://img.travel.rakuten.co.jp/share/HOTEL/5188/5188.jpg 成田第二ターミナルに、歩いて5分もかからず、窓の外には空港が見…

上海へ、まずは祭り寿司を食べなければ

16日、上海に向かうために、朝一番のフェリーで高松へ、マリンライナーで新幹線に乗るため岡山へ、まずは腹こしらえ・・・ 岡山駅の駅弁ナンバ-1の駅弁「祭りずし」 です。 1000円で、瀬戸内の「ママカリの酢漬け」、「鯖」、「このしろ」、「シャコ…