『昭和の二刀流ビルマに死す』 光人社NF文庫

  『昭和の二刀流ビルマに死す』 光人社NF文庫
イメージ 1
 
 昭和9年5月に宮城内濟寧館において挙行された「皇太子殿下御誕生奉祝天覧武道大会」に、高松の仏生山郵便局に勤める21歳の青年剣士藤本薫三段は、右手に小刀、左手に長刀という逆二刀で、全国の並み居る強豪を試合時間一分以内、すべて二本勝ちという圧倒的な強さで天覧の決勝戦へと勝ち上がり、東京代表の野間恒六段と優勝を争いました。
 藤本薫は高松中学(香川県高松高校)で剣道をはじめ、逆二刀をもって活躍、早稲田大学に進学しましたが、父親が局長を務める仏生山郵便局の仕事を手伝うために帰郷、植田平太郎範士の薫陶を受け剣の道の研鑽を積み、天覧試合準優勝の栄に輝き、「野球の宮武三郎、マラソンの楠好蔵、剣道の藤本薫は香川の三名物」と謳われた名剣士でしたが、昭和17年3月、出征していたビルマにおいて左腕貫通銃創を受け、奇しくも出会った剣友菅悟に、「腕落したら、剣道ができんよなる」という言葉を残して戦死しました。
 なお、本書は孤高の剣士藤本薫の生涯を描いたものですが、藤本が師と仰いだ昭和の剣聖植田平太郎範士、藤本と高松中学同期の植田一範士九段(元全剣連副会長)、大島功(元全剣連会長)など香川が生んだ稀代の名剣道家、さらに小豆島の菅悟(範士七段)、藤岡順(教士六段)についても、かなりの枚数を費やしておりますので読んで頂ければ幸甚です。