『奇跡の医師』 光人社

『奇跡の医師』 光人社
 
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 大正7年3月、日本医科大学教授の職を辞して対華21ケ条要求で排日救国の嵐が吹き荒れる中国にトランク二つをたずさえて渡り、「中国で生活するからには、中国の言葉を使い、風俗伝統習慣を尊重する」という国際感覚と「中国人であろうと日本人であろうと、人の命になんら変わりはない。患者にたいしては礼儀正しく親切に」という医療理念をもって、魔都とよばれていた国際都市上海北四川路に、中国人から無担保で提供された40万元の巨費を費やして地上7階、機能性に富んだベット数200あまりの病棟と外科をはじめとして内科、小児科、泌尿器科産婦人科、眼科、耳鼻咽喉科中医(中国の伝統医学)、歯科、放射線室に最新の医療機器を導入し東洋一の個人総合病院と謳われた福民病院(Foo Ming Hospital)を創設、中国が生んだ世界的文豪の魯迅をはじめとして、幾多の有名無名の中国の人々から絶大な信頼をよせられた日本人医師頓宮寛博士(Dr・Yutaka Tongu)は土庄町小部の出身です。
 頓宮博士は、大正、昭和という時代のうねりに翻弄されながらも、医療をとおして中国の人々のために30年にわたり奮闘しました。終戦とともにすべてを接収され、裸一貫で帰国した頓宮博士は、小豆島の内海病院の創設に尽力、初代院長として離島医療にとり組みました。
 本書は、頓宮博士と東京帝大医科大学同窓で歌人斎藤茂吉、医学者荻野久作などの写真をはじめとして、第七高等学校創設期、明治四十二年の東京帝大卒業アルバム、魯迅と内山完造、第一次上海事変などの未公開の写真も多数掲載しております。
 なお、本書は9月に中国の上海魯迅記念館に永久保存されました。何卒ご一読賜わり、小豆島土庄町が生んだ奇跡の医師頓宮寛博士の偉業を知っていただけますれば幸甚です。