『志に生きた男・頓宮寛 ③』

『志に生きた男・頓宮寛 ③』 
 
 大正七年春、頓宮寛は日本医学専門学校教授の職を捨てて中国大陸、それも辺境の地である湖北省大冶の鉱山の病院へ、トランク二つたずさえて赴任したころのことを、次のように述懐している。
 
「前面には海の如き揚子江を隔てゝ沃野万里の春が展開致し居り候殺風景なる支那内地にも春は来るものと見え今や菜花の花咲りに候一度此の雄大無限の風物に接し候節は謂『世の中』なるものに対する小なる不平や目下の不自由なる生活などは脳底より一払され可申候故国にありて取るに足らざる浮世の慣習や情実の網に囲繞されて曖昧模糊の裏に摩滅するよりは此の広大無辺の自由天地にありて覇伴無き生活を送る方こそ寧ろ小生に取りては本懐に御座候」