世に疎いテストパイロットですが、今話題の百田尚樹さんの『永遠の0ゼロ』、読みました。テストパイロットのブログをのぞいているブロ友の皆さんやアトランダムに立ち寄ってくれる皆さんに、訴えたいことがあります
世に疎いテストパイロットですが、今話題の百田尚樹さんの『永遠の0ゼロ』、読みました。テストパイロットのブログをのぞいているブロ友の皆さんやアトランダムに立ち寄ってくれる皆さんに、ぜひ知って欲しいことがあります・・・
敗色濃くなった昭和20年3月には、神風特別攻撃隊琴平水心隊や魁隊(さきがけたい)という名の特攻隊が編成された。そして同年4月29日から5月28日まで の1ヵ月間には、そうした小型機の胴体に250キロの爆弾をワイヤーでしばりつけたまま、詫間湾から激戦中の沖縄戦線へ向かって、四次にわたり、36機が出撃して 52人が戦死しているが、それを知る人はあまりに少ない。四月二十八日から四次にわたる出撃で二十五機が米軍艦船に突入し、五十七余名の若者が沖縄の空に散華した。
昭和二十年四月二十五日、第五航空艦隊は決戦体制を整えるため、全飛行艇部隊を統合して実戦部隊、詫間海軍航空隊を編成した。詫間に配備された二式大艇は高速性能のうえ、大型レ-ダーを装備し、第五航空艦隊の目となって活躍した。
遠くに瀬戸大橋が見えます。
希代のテストパイロットであった森川勲一等飛行機操縦士は、第八期操縦練習生同期15名の内、生き残ったのはテストパイロットをしていた森川さんだけでした。また森川さんが霞ヶ浦海軍航空隊で教えた第21期操縦練習生30名の内、29名が訓練中に殉職したり戦死しています。