「原爆ド-ム」

イメージ 1

                           夜明けの「原爆ド-ム」



1945年8月6日午前8時15分17秒、アメリカ軍のB-29爆撃機エノラ・ゲイ」が、建物の西隣に位置する相生橋を投下目標として原子爆弾を投下した。投下43秒後、爆弾は建物の東150メートル・上空約580メートルの地点で炸裂した。
 原爆炸裂後、建物は0.2秒で通常の日光による照射エネルギーの数千倍という熱線に包まれ、地表温度は3,000℃に達した。0.8秒後には前面に衝撃波を伴う秒速440メートル以上の爆風(参考として、気温30℃時の音速は秒速349メートルである)が襲い、350万パスカルという爆風圧(1平方メートルあたりの加重35トン)にさらされた。このため建物は原爆炸裂後1秒以内に3階建ての本体部分がほぼ全壊したが、中央のドーム部分だけは全壊を免れ、枠組みと外壁を中心に残存した。(ウィキペディア「原爆ド-ム」より引用)


 2月19日、広島の大学へ行っている帰省中の娘と家内を乗せ、10年選手のスズキ・ワゴンRにて小豆島土庄港からフェリ-に乗って岡山港へ、岡山から高速で広島市内八丁堀(藤田まことさんを思い出します)の宿舎まで約2時間、その夜は広島名物のお好み焼きを食べるために「お好み村」へ行き、ホテルに帰ってきて起きたのが夜中の3時、パソコンを持って行ったので、しばし原稿を書き、5時半、歩いて20分ほどのところにある「原爆ド-ム」にはじめて行きました。
 はじめて訪れる、それも暗闇、そして夜明けの「原爆ド-ム」、思わず手を合わせました・・・



 戦後、ビルマの収容所でイギリス軍の女性兵士が日本人捕虜の前で平然と放尿したのにもかかわらず、同国人の前では、顔を赤らめ局部を隠したのは、自分たち白色人種以外は、人間と思っていないからである。
 人を人と思わず、動物だと思えば、心の痛みや廉恥をともなうことはない。万却の昔から古今東西の人間に根深く巣くう「人を人と思わず、動物だと思う(鬼畜米英)」ーー万国共通の悪癖の一つである。
 イギリスのように、「ウエルス オブ ネイションズ」の大義名分のもと、アジアやアフリカ、南米などの国々を侵略して植民地化する帝国主義が国策となっていた欧米列強では、植民地の人間は、人ではなく動物であるーー太平洋戦において連合国軍が戦意を高めるために前線の兵士に、「敵は人間ではなく化け物だ。日本人は人間と類人猿の合い子である。この害獣を抹殺せよ」というビラを配布したように、B29による日本本土無差別爆撃、さらには広島、長崎に人類初の原子爆弾を投下して、非戦闘員である老若男女十七万人あまりを阿鼻叫喚の灼熱地獄におとしいれて焼き尽くし、その数十倍の日本人を六十年以上たった今日もなお放射能の後遺症で苦しめている核の悲劇を生み出した背景には、白色人種(連合国)から見れば、黄色人種(日本人)など人間と思わないという激烈な差別心が、その根底にあったということは否めない。
 罪悪感や贖罪の念が、きわめて希薄なだけに、欧米列強の侵略の度合い、植民地政策は苛烈なものであった。
 相手が未開で無知、おとなしいとみれば、武力で徹底的に屈服させ、骨の髄までしゃぶり尽くさなければやめようとしないのは、イギリスのインド植民地化や中国におけるアヘン戦争ビルマ王国の征服。フランスのベトナムカンボジアラオスの三国を征服して仏領インドシナとしたことなど、白人社会による侵略と植民地政策の歴史が如実に物語っているといえよう。