『暗い絵』・野間宏

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                      『暗い絵』・野間宏



 昭和48年・・・大学1年生の冬、アパ-トの近くに住む画家の田中岑(第一回安井賞受賞)のもとに、同じ香川県だからと強引に教え子?となった私は、ブリュ-ゲルの絵の世界に引き込まれていた。
 縁あって1年生ながら内田義彦先生(経済学者で社会思想史絵家)のゼミナ-ルに入れてもらっていた。そんなある日、内田先生に「この間、野間宏という小説家の『暗い絵』を読みました。ブリュ-ゲルの絵が暗いか明るいか、難しいですね」と言ったところ、内田先生は笑みを浮かべながら「『暗い絵』のモデルは私です」と言われ、私は驚き「先生は野間宏という小説家を知っているのですか」と聞くと、「野間君は友人です」という返事を、そして「京都の講演会で羽仁(五郎)さんがね、ブリュ-ゲルの絵は明るいと言っただよ、それで大喧嘩をしてね・・・」と言った言葉と内田先生を、本を手にとるたびに懐かしく思い出す。
 羽仁五郎との大喧嘩は、羽仁五郎、内田義彦、大江健三郎を講師として岩波の講演会が京都の市民会館で行った時の話であった。(この講演会は岩波書店からテ-プで発売されている)
 その後、内田先生は甲南高校時代、33歳で夭折した法学者の加古祐二郎に師事していたということを、京大滝川事件を、そして野間宏との交友を知ることができた。
 15年ほど前、上京したおり紀伊国屋書店でこの講談社文庫を見つけ購入した。帰りの新幹線の中で読んでいると、後書きに「野間宏入営三日前の記念写真・昭和16年10月、大阪にて」と題された写真が掲載されていた。
 内田先生がそこにいた・・・