墜落、奇蹟の生還

昭和九年六月一日、満期除隊を希望していた森川は、再び古巣の佐世保航空隊勤務となった。
大空を飛び回るようになって十年、これまで何度か墜落しそうになりながらも、そのたびに窮地を脱していた森川だったが、初めて墜落を経験することになった。
佐世保航空隊では、八期飛行練習生、准士官である航空兵曹長の森川は、隊内の誰しもが一目置く古参パイロットであり、満期除隊前の、のんびりとした勤務であった。
九月十五日、大村航空隊まで鎮守府の士官三名を一五式飛行艇で送った帰りのこと。搭乗員は、機長兼偵察・山田龍人中尉、主操縦員・森川勲航空兵曹長、副操縦員・伊規須利秋一等航空兵、機上整備員・瀧本市太郎一等整備兵曹、岸垣操一等整備兵の五名であった。
 大村を離水すると間もなく、機長の山田中尉は、操縦輪を握る森川に、「森川、俺に操縦させてくれ」と言い出した。
 兵学校出の山田中尉は、霞ヶ浦航空隊では飛行学生だったが、操縦適性に欠けると判断され偵察に回された人であった。なまじ腕に覚えがあるため、以前から森川に飛行艇の操縦をさせてくれないかと頼んでいた。
森川は、一兵卒の悲しさ、山田中尉から頼まれると、むげには断れなかった。
(天気は良好、三人の士官も送りどけたことだし・・・)
 主操縦席を山田中尉に明けわたした森川は、艇内に潜り込んで横になった。
 耳慣れた中島製ロレーン発動機のリズミカルな爆音と艇体を走る細やかな振動に、森川はいつの間にかうつらうつら眠り込んだ。
突然、伝声管から「森川、森川」と連呼する山田中尉の緊迫した声が聞こえてきた。
 飛び起きた森川が、操縦席に通じるハッチを開けると、水飛沫が艇内になだれ込んできた。
飛行艇は、森川が居眠る前とは一転して沛然たる豪雨に包まれていた。
「森川、代われ」
主操縦席の山田中尉は、血の気の引いた顔を引きつらせながら、座席バンドを外し、主操縦席から腰を浮かした。
操縦輪を握った森川は、ゴーグル(飛行眼鏡)をずらし、身を乗り出して下を見回したが、大粒の雨の帳で何も見えなかった。
「どこです、ここは」
森川が現在位置をたずねたが、偵察員席戻った山田中尉は、力無く頭を振るだけであった。
 天候の急変で視界を奪われた飛行を余儀なくされると、見えないという恐怖心から、飛行機がどのような姿勢で、どこをどう飛んでいるのか、未熟なパイロットだとわからなくなってしまう。
「もうすぐ、針尾の瀬戸だと思いますが」
口を開こうとしない山田中尉に代わって、副操縦席の伊規須一等航空兵が答えた。
 伊規須は、海軍に入隊する前は日本航空株式会社別府飛行場に勤務していた民間航空会社出身のパイロットであった。この付近の空と海は熟知していた。
しばらくすると、豪雨につきものの上昇気流と下降気流に翻弄され、一五式飛行艇は悲鳴のような鳴動を発しながら前後左右にがぶり始めた。
 森川は、乱気流に注意を払いながら慎重に高度を下げ、操縦席から身を乗り出して下を見回した。
どんな荒天時でも、低空飛行すれば地面や海面は薄ぼんやりと見える。はたして、土砂降りの雨越しに見え隠れしているのは、見慣れた針尾の瀬戸であった。
「針尾の瀬戸だ」
 森川は、思わず声を上げた。
 脳裏に、東洋一高いと謳われる針尾送信所の三本の鉄塔が立ち並んでいる光景が浮かんできた。
(まずい・・・)
 森川は唇をかんだ。
後に太平洋戦争開戦を告げる「ニイタカヤマノボレ1208」という暗号電信を発した海軍針尾送信所の誇る三本の無線鉄塔の高さは百三十七メートル、一塔あたり三十万円という巨費をかけ、大正十一年に竣工したもので、東洋一の無線鉄塔と謳われていた。佐世保航空隊へ帰るには、この三本の鉄塔を右に見ながら上昇して山越えをしなければならない。まかり間違って鉄塔に接触すれば、飛行艇と搭乗員のみならず、海軍に計り知れない損出を与える。何はともあれ高度を下げた以上、発動機の推力で飛行艇を引っ張り上げて旋回するしか手がなかったが、このような場合、あわてて操縦輪を強く引き、上昇旋回をしようとすれば、「ガク引き」といって、機首を上げた旋回姿勢のまま失速しまう。単座の戦闘機と違い、艇体の重量に対して発動機の出力の少ない飛行艇にとって、揚力が急激に減少する上昇旋回は翼端失速しやすく、特に気をつけなければならないものであった。
森川は、いつ目の前に山があらわれるのか、気が気でなかった。
 全力上昇に移って間もなく、目の前の雨の帳が、暗くなったように感じた。
(山が迫っている。飛び越せない)
 とっさにスロットルを絞り、操縦輪を強く引いた。
 一五式飛行艇が機首をもたげると、操縦輪とフットバーの手応えが無くなった。と同時に、突然豪雨の帳が開き、森川の目の前に、黒々とした山肌があらわれた。
 あっと思う間もなく、艇体を砕く激しい衝撃で操縦輪が躍り、手から放れた・・・
 一五式飛行艇は、松の木をなぎ倒しながら、山の斜面をなめるように飛び、逆立ち状態になって停止した。
森川は、壊れた操縦席から脱出しようと無我夢中であがいたが、折れたフットバーに足が挟まり、身動きがとれなかった。
艇内の燃料タンクからガソリンが流れ出していた。ガソリンの刺激臭が鼻を突き、激しく咳き込んだ
(早く脱出しなければ・・・)
 墜落で恐ろしいのは、燃料タンクへの引火爆発であった。
逃げなければと、もがけばもがくほどガソリンの気化ガスを吸い込み、森川はいつしか意識を失った。
 豪雨が幸いして、艇内燃料タンクから流れ出したガソリンに引火爆発という最悪の事態はまぬがれていた。
 操縦席から脱出出来ないまま人事不省におちいっていた森川と、左足大腿骨を骨折して動けないでいた山田中尉は、かすり傷ですんだ瀧本、岸垣によって艇外に運び出された。
 意識の戻らない森川と足を骨折して動けない山田中尉には瀧本が付き添い、岸垣は麓の村に飛行艇墜落を知らせるために山を下った。
岸垣から墜落事故を告げられ、現場に駆けつけた地元の消防団員や青年団員らによって、森川と山田中尉は医師の待機する野小屋に運び込まれた。
 森川は、二本目の注射で意識を取り戻した。
 ガソリンの気化ガス吸引で頭が割れるように痛み、医師の呼びかけに口を開こうとすると、頬に激痛が走った。
 顔と頭に包帯が巻かれていた。
すぐ横に、山田中尉が食いしばった口元からうめき声を上げながら横たわっていた。
「山田中尉」
 森川が痛みに耐えながら名前を呼ぶと、
「お、おう」
 うめき声混じりの短い返事が返ってきた。
「伊規須や滝本、岸垣はどこですか」
 森川が外の搭乗員の所在を聞くと、
「下山した」
 山田中尉は、足に大怪我をしているらしく、こう言ったきり、うめき声を上げた。
 蘇生したばかりで意識が混濁していた森川は、伊規須や滝本、岸垣は死んだと思った。山田中尉といるよりも、これまで生死をともにしてきた伊規須らのそばにいてやりたかった。
 森川は、小屋に入ってきた青年団員に、下山した伊規須らのもとへ連れて行ってくれるように頼んだ。
その時、山田中尉が、
「も、森川・・・」
 苦悶の表情を浮かべながら森川の名前を呼んだ。
飛行艇が山に墜落したのである。機長兼偵察員が飛行艇の操縦をしていたことが、航空隊の事故査問委員会にわかれば大変なことになる。また、いくら上官から操縦させてくれと頼まれたからといっても、主操縦席を明けわたした森川も同じであった。
 森川は、無言で頷いた。 
口をきくなと命じられているのか、硬い表情の青年団員らは、森川を雨合羽にくるむと戸板に乗せ、降りしきる雨の中、山を下り麓の村の診療所に森川を運び込んだ。
 診察室には、森川と同じように、頭といわず顔といわず、まるでミイラのようにぐるぐると包帯を巻いた飛行服姿の兵隊が寝台に横たわっていた。
「伊規須か」
 森川は、思わず声をかけた。
「そうであります」
 しっかりとした声で返事が返ってきた。
死んだと思っていた伊規須が、生きていたのである。
伊規須によれば、滝本、岸垣の二人はかすり傷程度で、操縦席で気を失っていた森川と足を骨折して動けないでいた山田中尉を飛行艇から助け出すと、岸垣は麓の村に助けを求めて山を下り、消防団や医者を連れて戻ってきた。大怪我の山田中尉と意識不明の森川は、動かさないでしばらく様子を見る方がいいだろうという医者の見立てもあり野小屋に残し、滝本と岸垣は墜落の衝撃で機外に放り出されて気を失っていた自分を連れて山を下り、今は近くの民家で休んでいるということであった。
飛行艇が山に衝突したにもかかわらず、森川は顔面と頭部に軽い裂傷、衝突の衝撃で機外に放り出された副操縦員の伊規須は顔面打撲と頭部裂傷、瀧本と岸垣の二人は、怪我ともいえないような軽い打撲と擦過傷、一番重傷であったのは機長の山田中尉で、左大腿骨複雑骨折、折れた骨が皮膚を突き破っていた。
(怪我人だけで死んだ者はいない。よかった・・・)
 森川は、飛行艇を墜落させてしまったという自責の念にさいなまれながらも、自分の運の強さに驚いた。