2009-11-11から1日間の記事一覧

森川、「美保ケ関事件」に直面する。初めての郷土訪問飛行。

艦隊勤務は、前期と後期の年二期に分かれていた。一月中旬から五月中旬までの前期四ヶ月の訓練が終わると、各艦船は整備や修理、乗組員の休養、補充交代のためにいったん母港に帰り、一ヶ月余りの休養の後、七月初旬から十一月末までの後期四ヶ月が始まるの…

森川・パイロットとしてリンドバーグの偉業に心を高鳴らせる。

一四式水上偵察機の揚げ降ろしには、主砲などの射撃を担当する陸奥第三分隊があてられていた。分隊長は、大正十三年に摂政宮(昭和天皇)と結婚した久邇宮良子女王の兄である朝融王であった。 朝融王は、青年士官らしく地味な揚収作業よりも、大空を自由に舞…

「陸奥」はじめての40センチ主砲弾着観測・連合艦隊航空参謀は大西瀧治郎であった。

森川が初めて弾着観測をしたのは、宿毛沖で行われた陸奥、長門の二戦艦による甲種戦闘射撃訓練であった。 戦艦の主砲の斉射は、戦技演習の花形であり、その中でも陸奥、長門の四十センチ主砲の斉射は、全海軍注目の的であった。 戦闘射撃訓練は、五万メート…