「飛行中ニ左発動機ヨリ出火、和歌山ノ周参見沖合ニ緊急着水」

 突然、左発動機の点火栓坑からボワッという音とともに緋色の火焔がほとばしり出、炎に包まれた。
 八九式飛行艇の発動機は、下翼と上翼の間に設けられた架台上に搭載されている。急がなければ、発動機からの火焔で上翼を焼き、墜落してしまう。森川は左発動機のスイッチを切ると、旋回して風上に機首を立てる時間を惜しみ、追い風(背風)での着水を決意した。
 飛行艇の着水は、風上に向かって真っ直ぐ飛びながら一定の割合で高度と速度を落とし、失速速度か、それより少し上の失速寸前の速度で艇体と翼端フロートを海面に接水させなければならない。風上に向かって飛ぶのは揚力を増すためであり、航空母艦艦上機を発艦、収容する際、風上に向かって全速力で走るのと同じ原理である。これに対して追い風着水は、後方から吹く背風により高度と速度が通常よりも急激に落ちてしまう。また、接水寸前の引き起こしに気を付けなければ、通常の着水と同じように機首を上げた瞬間、背風に押さえつけられて、失速してしまうおそれがあった。
 森川は、右発動機を全開、補助翼であて舵をあてながら、水平姿勢を維持するように操縦し、背風で押さえつけられるのを考慮に入れ、通常よりやや高めで機首を引き起こし、ジャンプするのを覚悟で、尾部から接水するように着水しようとした。
ただでさえ不安定な着水間際の失速状態で背風にあおられると、海面に叩きつけられる。まして八九式飛行艇の左発動機は炎に包まれ、推力は零であったが、森川は串本と田辺のちょうどまん中に位置する周参見港の沖合五百メートル、西風十メートル、大きなうねりの枯木灘に八九式飛行艇を無事緊急着水させた。
 幸いにも左発動機の火災は、着水と同時に鎮火していた。
森川は、右発動機を吹かし、沖合から吹く西風を主翼端に搭乗員を乗せて押さえ込みながら、周参見港目指して水上滑走させ、途中救助のために出てきた漁船に曳航されて港内に避難した。
 「飛行中ニ左発動機ヨリ出火、和歌山ノ周参見沖合ニ緊急着水」という電信連絡を受けた横須賀航空隊では、換装用の一四式発動機と横須賀海軍工廠の技手や職工を駆逐艦に乗せ、周参見港まで緊急輸送した。
横須賀海軍工廠の技手が焼けこげた左発動機の損傷状態を調査した結果、発動機の焼損はもとより、異常振動で架台の取付け金具やエンジンベッドに亀裂が生じていることが判明した。
 直ちに駆逐艦の魚雷格納用デリックを使って焼けた左発動機を降ろし、エンジンベッドは田辺の工場に運ばれて修理された。
二日後、森川は発動機を換装した八九式飛行艇を操縦して横須賀航空隊に帰投した。
 森川は、「この事故以後、八九式飛行艇の航続力の試験は行われなくなりました」と回想しているが、森川が霞ヶ浦航空隊に転勤して後の昭和八年に横須賀航空隊の相澤達雄大尉は、八九式飛行艇二機をもって横須賀・羅津間日本海渡洋飛行に成功している。