テストパイロットの天敵・「色気」

 森川は、ヴォートコルセア水上偵察機そのものには乗ったことはなかったが、九〇式二号水上偵察機は、航空隊で馴染みの機であり、操縦性は軽快、上昇力に優れている。ただし、単フロート(浮舟)の底はシャープで、離着水の時、横風に気を付けなければならないということを熟知していた。
森川は、ヴォートコルセア水上偵察機を追浜沖の離水海面に誘ったが、なかなか離水しようとはしなかった。発動機の調子や各種計器類の確認、操縦桿やフットバーを最大限に動かし、昇降舵、方向舵、補助翼など三舵の動きを入念に確認した後、おもむろに機首を風上に正対させ、水上滑走を始めた。
 素人目から見ると、飛行練習生がおずおずと操縦しているように思えるほどであった。
ヴォートコルセア水上偵察機を慎重に離水させた森川は、高度二千五百メートルまで真っ直ぐに上昇させた。
 十分な高度をとっていれば、発動機が故障しても滑空して着水することが出来る。複葉機の場合、最低でも高度の五、六倍の距離は滑空出来るからである。
 森川は、方向舵や昇降舵の空中での手応えや利き具合を確認すると、ヴォートコルセア水上偵察機の失速速度の確認のため、スロットルを絞りながら操縦桿をゆっくりと引き、翼端失速による補助翼のとられ具合、機体の横への倒れ方、その修正の度合いを確かめた。
 スロットルを絞り、操縦桿を引いて迎え角を増やしていくと、低翼機の場合、主翼後縁から気流が剥がれ始め、その剥がれた気流が機体や尾翼を叩き、フラッターの前触れであるバタバタという振動(バフェッティング)を発生させる。ヴォートコルセア水上偵察機のように複葉機や高翼機の場合は、翼端から失速が始まり、まず補助翼が利かなくなり、左右どちらかに機体がふらふらと傾き、次いで昇降舵が利かなくなり、機首をガクッと下げて落ちて行き、完全失速ーー螺旋状の径路を描いて落下する「錐もみ(スピン)」に入る。このように「失速(ストール)」とは、飛行機の翼の迎角が一定の迎え角(臨界迎角)を超えると気流が翼面から剥離することにより揚力が急激に減少し、抗力が急増する現象である。換言するならば、その飛行機がもっとも遅く飛べる速度を下回ったということである。
 失速すれば、飛行機をコントロールする方向舵、昇降舵、補助翼などの三舵は利かなくなり、操縦の自由はなくなる。しかし、必要最小限度の揚力と三舵の利き具合、失速速度を把握しておけば予測不能な突発的事故に対して、冷静かつ的確に対応することが出来る。大正の終わりから水上機飛行艇、陸上機を問わず操縦してきた森川にとって、これまで初めて操縦する飛行機の場合、十分な高度をとり、まず低速飛行をして、その飛行機の失速速度と三舵の利き具合などの操縦感覚を必ず確認していた。
ヴォートコルセア水上偵察機の操縦感覚をつかんだ森川は、後席の伊東少佐より伝声管越しに命じられる、安定性、操縦性、運動性などの性能試験を一通りこなすと、離水と同じように慎重に着水させた。
後席の伊東少佐は、
「森川、明日からは一人で飛ぶように」
 笑みを浮かべながら言った。
 パイロットならば誰でも、操縦技術が向上するにつれて、知らず知らずのうちに、おごり、うぬぼれ、慢心が頭をもたげてくる。人からうまいと言われたい、ほめてもらいたいという気持ちが、いつしか自分の腕と飛行機の限界を踏み外し、思わぬ事故を引き起こす。「色気」は、パイロットを生と死の狭間へと誘い、あたら多くのパイロットが大空に散っていた。
 森川の海洋飛行団時代の教え子で、川西航空機においては同僚テストパイロットとして活躍した岡本大作は、
「高速水上戦闘機「強風」の最高速試験を終えて鳴尾に帰る途中、甲南工場の上を通りがかりますと、たくさんの工員が空を見上げているのが見えました。おもしろくないことが続きクサクサしていましたので、ちょっと冷やかしてやろうかと工場めがけて急降下したことがありました。パイロット仲間ではいいところを見せようと不必要な急降下や超低空飛行を行うことを「色気」と呼んでいました。赤トンボ時代から「色気を出すなよ、死ぬぞ」と繰り返し教え込まれていましたが、若いうちはなかなか色気は抜けません。逆に飛行機の操縦がうまくなるほど色気は出てきます。ずいぶんの数のパイロットがこの色気を出したばかりに大怪我をしたり、死んだりしています。私も、ついいいところを見せようと急降下して超低空で引起しにかかりましたが、機体の沈みが思ったよりも大きく、工場の屋根にフロートを引っかけたかと観念しましたが、紙一重で飛び越すことが出来ました。冷や汗をかきながら着水すると、甲南工場からものすごい勢いでランチが走ってきました。舳先に乗っていたのは用事で川西に来ていた伊東祐満中佐でした。怒りで顔を真っ赤にした伊東中佐は、「今のダイブはお前か、飛行機はまた造れるが、岡本大作は二度と作れないぞ、慎重に飛べ」と激しい口調で私を叱りました。当時、試作機は一機二百万円とも三百万円ともいわれていましたが、わざわざランチを走らせて私の身を案じてくれた伊東中佐の叱責は堪えました。私はこれ以後不必要な急降下や超低空飛行などは一切やらないように肝に銘じました」
パイロットの天敵ともいえる色気について、このように回想しているが、「逆に飛行機の操縦がうまくなるほど色気は出てきます。」と認めているように、飛行機の操縦に限らず、スポーツや芸術、学問はもとより、一般社会のあらゆる分野において、およそ名人、上手と呼ばれる人は、自分が一番、他人には絶対負けない腕を持っているという強烈な自負心に裏打ちされた色気を内に秘めている。色気は技術の向上には無くてはならないものである。問題なのは、その色気を押さえ込める意志の強さである。岡本のようなベテランテストパイロットでも、つい色気を出して、不必要な急降下を試みている。
 事故について、労働衛生学の分野で「ハインリッヒの法則」という有名な理論がある。一九四一年、H・W・ハインリッヒが約五十万件にも及ぶ労働事故を調査したところ、重大な労働事故が一件起きると、その背後には「あわや」大事故につながりかねない軽事故が二十九件起きている。さらに、その背後には事故に直接つながらなかったものの、事故に結びつく可能性がある「ひやり」とするような潜在的なトラブルが三百件余りあるということが判明した。大事故を未然に防ぐには、その背後に潜んでいる数多くのトラブルを慎重に予防していくことが、いかに重要であるかということが理論的に立証されている。岡本の場合、幸いにして何事もなくすんだが、「華やかなれども命短し」とばかりに、幾多のパイロットが虚空に散っていた。