放哉の友人・内島北朗の壺

 
                  内島北朗の壺
 
 尾崎放哉の友人である内島北朗の壺。25年ほど前、島の古道具屋で、1万円で購入したもの。雄渾の中に静けさがあり、地肌の淡い朱色が鉄釉で書かれた中国風の庵を引き立たせている。愛媛県に住む俳人の故大山澄太氏に連絡したところ、一度見せて欲しいと言われたものの、そのままになってしまった・・・
 内島北朗は、大正14年11月、姫路で個展をひらき、その後高松をへて26日、尾崎放哉の住む南郷庵を訪ね旧交を温めている。また、翌15年4月7日、放哉死去の際には、荻原井泉水とともに来島し、放哉の死に水をとっている。
 どのような経緯で島の古道具屋にあったのか・・・ひっとしたら放哉の住んでいた南郷庵にあったものか・・・
思いは尽きない。
 
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                          内島北朗(うちじまほくろう)
 明治26年8月、富山県高岡市に生まれる。本名、喜太郎。河東碧梧桐に師事。大正3年、荻原井泉水が主宰する「層雲」に参加。井泉水亡きのち「層雲」の発行人となる。また、大正6年、六世尾形乾山に入門。富本憲吉・バーナードリーチと共に学ぶ。以降50余年作陶を続ける。山田無文老師に禅道を学び、書画を描いても一家をなし「文人墨客の陶工」と呼ばれる。句文集『壷屋草紙』(1928年)、句集『光芒』(1942年)、その他随筆集がある。昭和53年没。