三百有余年の歴史を誇る小豆島・肥土山農村歌舞伎
三百有余年の歴史を誇る『小豆島・肥土山農村歌舞伎』
小豆島土庄町肥土山地区には、江戸、明治、大正、昭和、平成と300年間、親から子へ、子から孫へと連綿と継承されている農村歌舞伎と舞台があり、毎年5月3日、奉納歌舞伎を催しています。
国指定重要有形民俗文化財『肥土山の舞台』
年に一度、それも5時間あまりの芝居のために、年間を通じて桟敷の清掃、舞台の管理もすべて地区の人たちの手で行われています。この舞台の萱屋根も、昨年地区の皆さんが自ら葺き替えました。
舞台だけでなく、高座、衣装蔵、桟敷もすべて国指定重要有形民俗文化財となっています。
この舞台形式は、江戸時代末に金比羅歌舞伎で有名になった琴平の「金丸座」を模して造られたと伝えられています。金丸座は天保年間、現在の木造の芝居小屋に建て替えられましたが、もともとは桟敷とよばれるように観客席は露天でした。
なだらかな丘の斜面を利用した桟敷は観劇には最適で、真ん中がくぼんでいるのは役者の台詞がよく通るという音響効果からです。
当日のパンフレット
小豆島には昭和30年代まで、この肥土山のような歌舞伎舞台が30カ所もあり、各地区で芝居が行われていましたが、現在は小豆島町の中山地区と2つだけとなりました。
舞台の天井を見て下さい。竹で組んだ「ブドウ棚」が見えます。これらも地区の人々が自ら竹を切り出して組上げたものです。カ-ペットを敷いているので隠れていますが、舞台は廻り舞台で、せり上がりもあります。
まずは、五穀豊穣を願っての「三番叟」で、農村歌舞伎がはじまります。
今日のところは、これまで・・・
何回かに分けて、この農村歌舞伎の模様や舞台などを紹介します・・・