明治初めの「島四国小豆島八十八カ所巡拝の案内図」の版木

 明治7年3月製作の「島四国小豆島八十八カ所巡拝の案内図」の版木
 
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  テストパイロットのもとには、いろいろな物が見てくれと持ち込まれる。
 これは、明治7年3月製作の名東県小豆島四海村の一田多吉氏が、島四国
八十八カ所巡拝の案内図の多色刷りの版木である。
 
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 一度だけ所有者の了解を得て墨をすって刷ってみたが、今の札所と違うことからほごにしました。
 百年前の、今でいう観光マップのル-ツか・・・ 
 江戸時代末から明治はじめにかけて、島四国八十八カ所を訪れる遍路さんがたくさんいたという証と、テストパイロットは思っています。
 
 
  ウイキペデイアより参照・引用
  名東県(みょうどうけん)は、1871年12月26日明治4年11月15日)から1876年明治9年8月21日まで存在した日本である。
県名の由来は、県庁がおかれた徳島町(現在の徳島市)が名東郡にあることにちなむ。一時期香川県編入したものの、そのほかの期間は旧徳島藩の領地が県の領域であった。
1871年12月26値日(明治4年11月15日) 太政官布告により、徳島県阿波国淡路国三原郡)と兵庫県のうち淡路国津名郡を合併して名東県が新設。
1875年明治8年9月5日 香川県が名東県から分立。
1876年(明治9年)8月21日 阿波国高知県編入淡路国兵庫県編入し名東県廃止。