2010-07-19 明治初めの「島四国小豆島八十八カ所巡拝の案内図」の版木 道具・職人魂 #その他文化活動 明治7年3月製作の「島四国小豆島八十八カ所巡拝の案内図」の版木 テストパイロットのもとには、いろいろな物が見てくれと持ち込まれる。 これは、明治7年3月製作の名東県小豆島四海村の一田多吉氏が、島四国 八十八カ所巡拝の案内図の多色刷りの版木である。 一度だけ所有者の了解を得て墨をすって刷ってみたが、今の札所と違うことからほごにしました。 百年前の、今でいう観光マップのル-ツか・・・ 江戸時代末から明治はじめにかけて、島四国八十八カ所を訪れる遍路さんがたくさんいたという証と、テストパイロットは思っています。 ウイキペデイアより参照・引用 名東県(みょうどうけん)は、1871年12月26日(明治4年11月15日)から1876年(明治9年)8月21日まで存在した日本の県である。 県名の由来は、県庁がおかれた徳島町(現在の徳島市)が名東郡にあることにちなむ。一時期香川県を編入したものの、そのほかの期間は旧徳島藩の領地が県の領域であった。 1871年12月26値日(明治4年11月15日) 太政官布告により、徳島県(阿波国、淡路国三原郡)と兵庫県のうち淡路国津名郡を合併して名東県が新設。 1873年(明治6年)2月20日 香川県を編入する。 1875年(明治8年)9月5日 香川県が名東県から分立。 1876年(明治9年)8月21日 阿波国を高知県に編入、淡路国を兵庫県に編入し名東県廃止。