7月2日の半夏生の日、小豆島で寛文元年(1661年)より350年続く「肥土山の虫送り」が、今年も行われました。

 7月2日の半夏生の日、小豆島で寛文元年(1661年)より350年続く「肥土山の虫送り」が、今年も行われました。
 
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 7月2日夕方6時、 小豆島土庄町肥土山地区にある多聞寺本堂において大般若経を転読し、「五穀豊穣」・「害虫駆除」・「厄災消除く」・「如意円満」が祈願される。
 
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  祈願終了後、本尊に供えている灯明より朱塗りの手燭に火を移してもらう。
 
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  旧毘沙門堂跡にある虫塚にて読経を行い虫供養を行い、虫送りの出発場所である肥土山離宮八幡宮の境内にある国指定有形民俗文化財肥土山の舞台に向かう。
 
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肥土山の舞台の桟敷に集合する子どもと家族 
 
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自治会の役員より運ばれた朱塗りの手燭の火を移し祈願する。
 
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  火手(ホテ)に火をつけてもらい、虫送りに出発。 
 
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  田んぼのあぜ道を、「稲虫(いなむし)来るな、実盛(さねもり)失せろ」と言いながら、約1キロ下手にある蓬莱橋まで歩く。
  実盛とは、平家の武将であった斉藤別当実盛のことである。平維盛に従い木曽義仲との戦いの際、稲に躓いたために首を取られてしまった。それで実盛は稲を恨み害虫である稲虫となったという伝説から由来している。  
 
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 農薬がなかった江戸時代、各家々では火のついた火手を持ち、太鼓や鐘を鳴らしながら般若心経や火天呪などを唱え自分の田んぼのあぜ道をぐるぐる回り害虫を駆除しようとした。今日では農薬が発達し、呪術的な行いは廃れていった。しかし、その名残が虫送りとして、ここ肥土山地区に、農村歌舞伎とともに残っているのである。