テストパイロットの単車乗りの血が騒いだ!!

テストパイロットの単車乗りの血が騒いだ!!
 
イメージ 1
    懐かしの愛車メグロS7 1959年製 
                       
イメージ 2
 
イメージ 3
 
 今から20数年前乗っていたメグロS71959年製である。テストパイロットは若い頃から古い物が好きで、乗っていたオ-トバイは、今の若い人は知らないと思うが、往年の名車メグロであった。イギリス流右チェンジ0HVシングルプッシュ単気筒250CC、クランクがハ-ト形で赤でメグロのマ-クが刻印されている。
 このメグロは、岡山県津山市の人がワン・オ-ナ-で、もちろん初期ナンバ-付きのものを譲ってもらったものである。バックもメグロの銅の無垢の削りだしであった。テストパイロットは、単車は動いてなんぼとばかりに、老体に鞭うって寒霞渓へよく行ったものである。
 子どもが大きくなるにつれ、モ-タ-サイクリストで売りに出したところ、全国から譲ってくれないかという申し込みがきた。山梨県甲府のマニアが小豆島まできたのには驚いた。結局、甲府にお嫁に行ったが、今も元気なのかと思い出す。
 今持っていれば、御歳53歳か・・・
 
イメージ 7
 懐かしの愛車メグロの発動機を浮き彫りにした丸瓦である。
 香川旧車会が1988年10月30日、高松で行われた第11回ミ-ティングの記念に製作したものである。
 旧車会の一員であったテストパイロットは、メグロS7に乗って参加した。
 
 
イメージ 4
カワサキメグロSG  徳島県大歩危にて・・・
 
イメージ 5
                 カワサキメグロSG  瀬戸大橋にて・・・
 
 
メグロS7とともに所有していたのが、このカワサキメグロS7である。サドルシ-トはゆったりとして座りやすく、S7の血筋を引く250CC単気筒発動機は、ドッドッと耳に心地よかった。鉄の馬に乗っているという思いがした。
 この単車は、県外に出る時に使っていた。テストパイロットは、「いくら古くとも単車は動いてなんぼ」という信念のもと、オ-エンのヘルメットにクシタニのツナギを身に纏い、東は大阪、西は九州まで走り回った。S7とこのSGとのメインテナンスをしてもらっていたモ-タ-スのおっさんの、「古い単車や車をだめにするのはオイルとガソリンだ」という忠告は、拙著「テストパイロット」光人社NF文庫を書くうえで大変役に立った。
 メグロカワサキの傘下に入ったころの1964年頃の単車である名残か、タンクマ-クは「メグロ」ではなく、「カワサキメグロ」となっている。
 瀬戸大橋をこのメグロで走ったり、行く先々で注目をあびた愛車であったが、子どもが大きくなるにつれ、貧乏サラリ-マンであるテストパイロットはS7とともに手放してしまったが、忘れられない愛車である。
 人生に、「会者定離」・・・テストパイロットに楽しい思い出をつくってくれた、忘れられぬ愛車である。
 
イメージ 6
        カワサキZ400GP 高知城大手門前にて
 
 名車メグロと泣く泣くわかれを告げて乗っていたのが、メグロの血筋を引くザッパ-カワサキこと、Z400GPである。
 もっとも、この単車は、テストパイロットの弟の所有であった。乗らなくなったものを納屋の片隅に置いていた。テストパイロットは、メグロのメインテナンスをしていたモ-タ-スのおっさんのところに持ち込み、車検を取得、乗り回していたのである。
 土曜日の朝、クシタニの革ツナギとアライのヘルメットに身を固めたテストパイロットは、港で、今日は岡山に渡って鳥取砂丘へ行こうか、高松に渡って高知の室戸岬に行こうか、とその時の気分で一泊二日のツ-リングを楽しんでいた。
 Z400FXの後継車として1982年に発売され、わずか1年でGPZ400にその座を譲るという悲運の単車であったが、テストパイロットはロ-ソンのビキニカウルを付けて走り回っていた。
 
 
イメージ 8
                           鳥取砂丘にて
 テストパイロットは、この空冷4気筒の単車を通じて、オイル管理の大切さを学び、拙著「テストパイロット」光人社NF文庫を上梓する上で大変参考になった。値段の高い最新のオイルは万能ではない。空冷か水冷か、油冷か、単車に適合した潤滑油、交換の時期など・・・
 この単車も、6年間乗って広島のマニアのもとに嫁入りした。今も健在であろうか・・・

 
 桜ではなく、英国製の単車を見て、テストパイロットの単車乗りの血が騒ぎました・・・