親から子へ、子から孫へと三百有余年連綿と続く小豆島肥土山農村歌舞伎!!
親から子へ、子から孫へと三百有余年連綿と続く
小豆島肥土山農村歌舞伎!!
小豆島の農村歌舞伎の始まりは、350年ほど前に始まり、小豆島からお伊勢まいりに出かけた人々が上方歌舞伎を見に行ったことがきっかけと伝えられています。
その頃の小豆島肥土山村は毎年のように水不足。お百姓さんの苦しみを救おうと、時の庄屋太田典徳は自費を投じて蛙子池築造に取り組みます。3年間もの時を経てようやく完成にこぎつけた貞享3年(1686年)、池から肥土山まで水が流れてきたのを喜んだ村人たちは、肥土山離宮八幡神社の境内に仮小屋を建てて芝居をしました。以来、小豆島の農村歌舞伎は、江戸、幕末、明治にかけて盛大に行われ、戦争などの混乱期にも絶えることなく伝承されてきました。 最盛期の明治のはじめには、小豆島全体で肥土山の舞台のような常設の歌舞伎舞台が30ヶ所、役者は700人余りいたそうです。
その頃の小豆島肥土山村は毎年のように水不足。お百姓さんの苦しみを救おうと、時の庄屋太田典徳は自費を投じて蛙子池築造に取り組みます。3年間もの時を経てようやく完成にこぎつけた貞享3年(1686年)、池から肥土山まで水が流れてきたのを喜んだ村人たちは、肥土山離宮八幡神社の境内に仮小屋を建てて芝居をしました。以来、小豆島の農村歌舞伎は、江戸、幕末、明治にかけて盛大に行われ、戦争などの混乱期にも絶えることなく伝承されてきました。 最盛期の明治のはじめには、小豆島全体で肥土山の舞台のような常設の歌舞伎舞台が30ヶ所、役者は700人余りいたそうです。
香川県土庄町肥土山の肥土山離宮八幡神社で3日、春季例大祭が行われ、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈願して地元の子どもや大人たちが「肥土山の舞台」(国指定重要有形民俗文化財)で恒例の農村歌舞伎を奉納しました。昨日は晴天に恵まれ、詰め掛けた約800人が夜遅くまで、地域が誇る伝統芸能を堪能しました。
午後3時半に「三番叟(さんばそう)」で幕開けすると、2幕に地元の小学4年~6年の5人が登場。元禄時代の赤穂浪士による仇討ちを題材にした「仮名手本忠臣蔵 三段目 松の間」を大人顔負けに演じ、会場から盛んにおひねりが飛びました。
おっ、よくみるとさっきの鞍馬天狗(まさか?)が舞台に・・・
続いて、担当する下組の住民らが弁天小僧の「知らざぁ言って聞かせやしょう」の名ぜりふで知られる「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ) 雪ノ下浜松屋の場」を上演すると、ユニークなアドリブを交えながらの熱演ぶりに会場は大盛り上がり。最後は肥土山農村歌舞伎16 件保存会(佐々木育夫会長)のメンバーらが締めくくり、観衆は新緑が香る境内で弁当を食べたり酒を酌み交わしながら、楽しい時間を過ごした。
真上から見ると正方形の、出前に使う岡持のような形のわりごの中には、台形型のお弁当箱が5個ずつ20個入っています。上段は重箱のご馳走です。
ゴールデンウィークで小豆島に帰ってきた人や、久しぶりにあった人々とわりご弁当を食べながらお酒を酌み交わして旧交を温めるのが、肥土山の農村歌舞伎見物の醍醐味です。