海難救助飛行艇US2の原機、二式大艇よ永遠に!!

海難救助飛行艇US2の原機
二式大艇よ永遠に!!
 
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 海上自衛隊ホームページより
 
 6月21日(金)22時31分、辛坊治郎、岩本光弘の両名の乗るヨットが、太平洋1500キロにおいて浸水し、辛坊治郎、岩本光弘は救命ゴムボートに乗りうつり救助を求めた。厚木基地から救助に飛来した海上自衛隊の四発大型飛行艇US2は、気象状況は南西の風約15m/秒、波の高さ約4mの荒れた太平洋上に着水し、辛坊治郎、岩本光弘の両名を無事救助した。
 
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 昭和17年2月、水メタノール噴射試験のために川西航空機(現・新明和工業)甲南工場沖を離水する二式大艇2号機、操縦するのは希代のテストパイロットであった森川勲一等飛行機操縦士
 
 南西の風約15m/秒、波の高さ約4mの荒れた太平洋上に着水し、辛坊治郎、岩本光弘の両名を無事救助した新明和工業の四発大型飛行艇US2の原機は、戦前、世界最高の飛行艇と謳われた川西二式大艇です。
 
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 大正13年海軍志願8期飛行練習生で、希代のテストパイロットであった森川勲一等飛行機操縦士は、戦後、電気、水道、電話のない周囲10キロほどの小豊島分教場のただ一人の教師として赴任、離島教育に邁進した。
森川さんは、飛行艇について、次のように語っている。
 
 「私が水上飛行機を好きなのは、水上飛行機は海が飛行場となるからです。子どもの頃、大きな怪我や病気をした者は船で岡山や高松の病院に運ばれていました。私の朋輩も怪我をして漁船で高松の病院に運ばれましたが、手遅れで死んでしまいました。水上飛行機なら小豆島から高松まで十分とかかりません。高松の港に着水して救急車で病院に運ぶことが出来れば、手遅れにならなくて助かったかもしれません。日本は国土は狭いながらも回りを海に囲まれている国です。もっともっと水上飛行機を使えばいいと思います。瀬戸内海などは小さな水上飛行機を、太平洋や日本海などを飛ぶ場合は二式大艇のような大きな飛行艇を使えばいいと思います・・・水上飛行機は戦争に使われるものではありません。遭難した船や離島の病人を助けるのに使われるのがいいと思います。アメリカ軍は九七式大艇のことを「メービス」、二式大艇のことを「エミリー」と呼んでいたそうですが、その名の通り九七や二式はやさしい姿をしています。飛行艇はみなそうです。若い頃私は飛行艇で内南洋の島々を飛ぶパイロットになろうかなと思ったことがありました。戦争が終わって小豆島に帰ってきて小豊島分教場の代用教員をしていましたが、水上飛行機で怪我人や急病人を運ぶ仕事があれば、そのような仕事につきたいと思っていました」
 
 
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