金毘羅船々、追風に帆かけてシュラシュシュシュ ずっこけテストパイロット、厄落としの旅・⑥
金毘羅船々、追風に帆かけてシュラシュシュシュ
ずっこけテストパイロット、厄落としの旅・⑥
名物のかごやさん、ようやくお店を開けました。
ハイハイ、早くも100段目です。「一之坂鳥居」が見えました。
一之坂鳥居から先の大門までは特に急な石段となり、一ノ坂と呼ばれます。
先を歩いていたアベックに追いつきました。
テストパイロットは、軽やかに、リズミカルに、ほっほっと階段を上っていきました。
ハイハイ、もう294段目です。あと491段です。
大門は神域の総門です。水戸光国の兄である松平頼重候から寄進されました。二層入母屋造・瓦葺です。
どうして仁王さんではなくて、武者人形なのだろうか・・・
ここで振り向いてみると、今まで上ってきた石段が眼下に続き、遥かに讃岐平野が見えます。
大門から150メートル程続く石畳の道は、桜馬場と呼ばれています。道の両側に続く玉垣の内には、数十株の桜が植えられ、その間に無数の石燈籠が建てられています。春になると、爛漫に咲いた桜が左右から枝を交え、すばらしい桜の道となります。
平坦な桜馬場を進み、青銅の鳥居をくぐって石段を数十段のぼると、正面に特に大きな鳥居が現れます。桜馬場西詰銅鳥居です。
円山応挙のふすま絵が90枚もあるとは・・・
書院では円山応挙の襖絵などが公開されています。入ろうと思ったのですが、時間がないので、次の機会にしました。
旭社の御祭神は、天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・伊邪那岐神・伊邪那美神・天照大御神・天津神・国津神・八百万神です。4月1日に例祭、毎月1日に月次祭が行われます。天保8年(1837)に竣工した社殿は、高さ約18メートル、銅板葺の総﨔造二重入母屋造で、全て槻材が用いられています。
楼上に掲揚された「降神觀」の額は、清国の翰林院侍讀探花及第王文治の筆で、同国の劉雲臺の献納です。
この鳥居は、慶応3年(1867)に伊豫松山松齢講より献納された黄銅鳥居です。
鳥居をくぐると賢木門があります。賢木門は、唐破風と千鳥破風の棟が交錯する檜皮葺の屋根をもち、他に類を見ない優麗温雅な様式を備えています。
いよいよ本宮が間近です。ここは闇峠といい、花崗石神明造の鳥居があります。
闇峠に小豆嶋の船持ちが寄進した玉垣があります。この頃はようけ儲けていたのでしょう・・・
急な石段が続きます。石段は4段階に分かれ、各数十段あります。御前四段坂と呼ばれます。ここを上りきれば御本宮です。
テストパイロットの顔は真っ赤、息も絶え絶えになりながら上ってきました。これで厄落としもいっそうのありがたみがあると思います。
それでは厄落としの旅・その⑦へと続きます。
次は、琴平の金比羅さんの下り階段を紹介します。乞うご期待!!
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