金比羅参り、行きはよいよい、帰りは恐い・・・ずっこけテストパイロット、厄落としの旅・⑦

金比羅参り、行きはよいよい、帰りは恐い!!
直さんおすすめの高橋由一の絵を見ることができるか・・・
 
ずっこけテストパイロット、厄落としの旅・⑦
 
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 御前四段坂を上りきると本宮です。ここまで全785段の石段です。海抜は251メートルです。本宮の御祭神は、大物主神崇徳天皇です。農業・殖産・医薬・海上守護の神として古来からの御神徳を仰がれています。 
 前の晩、居酒屋での飲み会で飲み過ぎてしまいました。さすがに金比羅さんの785段の階段、疲れました。自業自得です。
 
 
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 御本宮社殿の創立は、約1000年前の長保3年(1001)、藤原實秋が一條天皇の勅を奉じて改築したのに始まり、その後の元亀4年(1573)の改築、天正年間(1573~1592)の長曽我部元親による再営を経て、万治2年(1659)の高松城主松平讃岐守賴重之による改築に至り、明治11年(1878)の改築で現在の社殿ができました。本殿・幣殿・拝殿はすべて清素を主とし、檜材が用いられ、檜皮葺の大社関棟造です。社殿には全て角材が用いられ、一切弧をなしていないのが他に類をみない特徴です。
 
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 本宮の北東側は、展望台になっています。
 
 天気がいいです・・・これも常日頃清貧にも負けず、良い行いをしているテストパイロットの善行のおかげだと思います。
 眼下に広がる琴平の町と讃岐平野です。 さぬき富士と呼ばれる飯野山がやさしい姿を見せています。
 
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老眼をこらすと瀬戸大橋が・・・ 
 
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 岡山の児島と香川の坂出を結ぶ瀬戸大橋です。
 
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 本宮授与所の向かい側に長い廊下があります。本宮から、三穂津姫社まで南北に渡っています。この廊下を南渡殿といいます。長さは約40メートルで、屋根は檜皮葺です。明治11年(1878)に建てられました。 
 
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 三穂津姫社です。
 本宮の御祭神である大物主神の后にあたる、高皇産霊神の御女、三穂津姫神が祭られています。本殿は檜皮葺・王子造、中殿は檜皮葺、拝殿は檜皮葺・大社関棟造です。
 それにしても金比羅さんでは、祭神の奥さんも同じ格式で祀っているのです。まっちょんさん、男女機会均等の先駆けですね。
 
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 銅馬があります。一文銭を集めて作られたといわれている銅馬と絵馬殿
 
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 絵馬殿には、各地から祈願報賽のために奉納された無数の絵馬が掲げられています。もともとは、生きた駿馬を神に奉納したのが始まりです。後に、絵に描いた馬、つまり「絵馬」を奉げるようになりました。さらに、馬ばかりではなく、武者絵や美人画の絵馬も現れるようになりました。金刀比羅宮は航海安全祈願の信仰を集めていることから、特に船の絵馬が多くみられます。また、特に貴重な絵馬は学芸館に保存されています。 
 
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金比羅名物の流し樽です。これを海に流して航海の安全祈願をするのです。
 
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 三穂津姫社の正面から下に向かって石段が続いています。帰路となる下向道です。下りは膝にきます。転ければ、下までコロリ、コロリではすみません。コロリと逝ってしまいます。
 
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途中、さざれ石というのがありました。
 
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直さんおすすめの高橋由一常設展示です。
 
高橋由一は、明治12金刀比羅宮で開かれた第2琴平山博覧会に作品を出品し、会期終了後に全作品を金刀比羅宮に奉納しました。そのため金刀比羅宮は由一の作品を27点収蔵しており、現在は金刀比羅宮境内にある高橋由一館」に展示されています。由一には人物、風景などの作品もありますが代表作として筆頭に挙げるべきは『鮭』だといわれています。極端に縦長の画面に縄で吊るされ、なかば身を欠き取られた鮭のみを描いたこの作品は西洋の模倣ではない文字通り日本人の油絵になっていると評されています。
 
これから観音寺市にある砂浜の寛永通宝を見に行くので、残念ながら次回にしました。
 
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宝物殿もパスしました・・・
 
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「おんひらひら蝶も金比羅参哉」・小林一茶
 
おんひらひらテストパイロットも金刀比羅詣りかな・・・
 
 閑静な金比羅さんでした。丁寧にお参りをしましたので、善良なテストパイロットに災難がふりかかることはないでしょう。
 テストパイロットは、金比羅さんを後に、謎のオリーブ号と観音寺市を目指しました。 
それでは厄落としの旅・その⑧へと続きます
 次は、観音寺市有明浜に造られている100メートルの砂の寛永通宝を紹介します。乞うご期待!!
 
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