ずっこけテストパイロット、京都・大阪の旅ーその③武道の総本山 京都武徳殿を訪れました!!

ずっこけテストパイロット、京都・大阪の旅ーその③
 
武道の総本山 京都武徳殿を訪れました!!
 
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 平安神宮の西隣に武道の総本山、京都武徳殿があります。
 
 明治28(1895)年、平安遷都1100年祈年事業であった平安神宮造営と時を同じくして、大日本武徳会の演武場として武徳殿の建設計画が持ち上がります。そして明治32(1899)年、故事にちなんで平安神宮の北西の地に武徳殿を竣工しました。
 
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 こちらは裏門から入ります
 
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 昭和58(1983)年には、明治期の大規模木造建築・武道史における貴重な建造物である点が評価され、京都市指定有形文化財になりました。更に平成8(1996)年には国の重要文化財指定を受け、建築物としても高く評価され今日に至っています。 
 
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幸運にも少年柔道大会が開催されていましたりで、中に入ることができました。 
 
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 武徳殿は明治32年の落成以来、演武場・道場として、また多くの武道家の修練の場として、武道の殿堂という地位を保ちつづけています。毎年5月2日より4日間にわたり「全日本剣道演武大会」(旧京都大会)が日本全国はもとより世界各地から錬士六段以上の3000人を超える剣士が1年間の修錬の成果を披露する演武大会として行われています。
 
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武徳殿正面入口
 
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 明治39年、武術教員養成所(後の武道専門学校)も開設され、日本の武道の中心的存在となりました。
 
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岡野好太郎 講道館十段
 
 岡野好太郎先生は、テストパイロットが小学生の頃、家の近くで小さな接骨院をしていました。岡野先生は大人しい人でしたが、柔道の強いおじいさんということでした。そのずんぐりむっくりした姿形から「カバさん」と呼ばれ、子どもは岡野先生が道を歩いていると、「あっ、カバさんやぁー」と言ってそばに寄って行きました。岡野先生は接骨の仕事が終わると子どもや大人に柔道を教えていました。
 戦前、岡野先生は岡山の第六高等学校(現・岡山大学)、第八高等学校(現・名古屋大学)の柔道の師範をしていました。晩年、岡野先生は懇請されて名古屋大学の柔道部の師範となりました。
 テストパイロットは、恥ずかしながらカバさんこと岡野好太郎先生が講道館柔道十段ということを最近まで知りませんでした・・・
 岡野先生は、学生達に試合中における声援、拍手、勝ちを喜ぶポーズを禁止したそうです。それは相手を辱める行為であり、武道家として、絶対にしてはいけないことだと常々言っていたそうです。ですから、名古屋大学柔道部では、今でも声援、拍手、ガッツポーズなどは厳禁となっています。
 この前、日本を代表する有名な柔道家が、一本が極まった瞬間、畳に倒れ伏す相手選手に向かって拳を振り上げてガッツポーズをしました。岡野先生が、今の柔道の試合を見たら、何と言うでしょうか・・・
 今、岡野好太郎先生のことを書いています。
 
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