尾崎放哉の菩提寺である興禅寺へ行きました!!

尾崎放哉の菩提寺である興禅寺へ行きました!!
ずっこけテストパイロット、鳥取県へ行くー③
 
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尾崎放哉(秀雄)の雄渾な墨書
 
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尾崎放哉、神戸須磨寺にて・・・
 
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尾崎家の菩提寺である黄檗宗龍峰山興禅寺
 
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 興禅寺の境内に放哉の辞世の句となった、「春の山のうしろから烟が出だした」の句碑がありました。
 
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 尾崎家先祖累世のお墓、大正15年4月7日、小豆島土庄町南郷庵で南堀トメに看取られながら41歳の生涯を閉じた放哉は小豆島で埋葬されました。一年後に分骨されてこの尾崎家の墓所に埋骨されました。
 
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興禅寺本堂、かつての歴代鳥取藩主の御霊屋(位牌堂)
 
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 さすがは因幡伯耆三十二万石鳥取藩主池田家累代の菩提寺である興禅寺です。桃山時代の古法の面影を色濃く残した大名庭園です。
 
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 梅の古木の根本には、隠れ切支丹(キリシタン)の礼拝物である鳥取県指定文化財の「切支丹灯籠」がありました・・・
 
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書院に通されたテストパイロットは、床の間を見て唸りました・・・、
 
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うーん、さすがは鳥取藩池田家の菩提寺です。
 
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煎茶とともに今日された和菓子、さすがは煎茶道黄檗宗のお寺です。
 
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 大正15年4月7日、小豆島土庄町南郷庵で41歳の生涯を閉じた放哉は、西光寺歴代住職の墓所に埋葬されました。流旅の民であった放哉にとっては、これは破格の扱いです。
 
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放哉の墓石、お酒が好きだった放哉のために、いつも日本酒が供えられています。
 
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 放哉を庇護し、奥の院南郷庵に住まわせた西光寺の住職杉本宥玄は、最初放哉に「大空院放哉居士」という院号をつけたが、友人の荻原井泉水は、放哉に院号はふさわしくないと固辞し、自ら筆をとって「大空放哉居士」と墓石に書いたのです。
 
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尾崎放哉のお墓からは、土庄の町並みがよく見えます。
 
 テストパイロット家のお墓は、放哉のお墓の一段上にあります。薄幸のテストパイロットは、そう長くはないと思います。直さんをはじめとして全国のブロ友の皆さん、将来小豆島に来ることがありますれば、テストパイロットの墓前に、ワンカップのお酒、線香のかわりに一本のタバコを供えてくれればうれしいです・・・
 
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