ずっこけテストパイロット、坂本龍馬ゆかりの備後鞆の浦探訪

 ずっこけテストパイロット、坂本龍馬ゆかりの備後鞆の浦を探訪する。

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 鞆の浦の波戸場
 鞆の浦には古い町並みが残り、1992年には都市景観100選に、2007年には美しい日本の歴史的風土100選に選ばれた。また、1927年に日本二十五勝の海岸景勝地として、「鞆の浦屋島若狭高浜」が選ばれた。江戸時代の港湾施設である「常夜燈」、「雁木」、「波戸場」、「焚場」、「船番所」が全て揃って残っているのは全国でも鞆港のみである。江戸時代中期に描かれた街路もほぼすべて現存し、当時の町絵図が現代の地図としても通用する。そのような町は港町に限らず、全国でも鞆の浦以外には例がない。2008年公開された『崖の上のポニョ』で、宮崎監督が構想を練った地として有名になり、映画・テレビドラマ等、映像作品のロケが増えている。

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「雁木(がんぎ)」と呼ばれる船着き場、小豆島にもあったような・・・
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坂本龍馬さんがいました。
 1867年(慶応3年)4月23日、坂本龍馬率いる海援隊の「いろは丸」と、紀州藩船「明光丸」が瀬戸内海の六島沖で衝突。鞆の浦へ曳航される途中にいろは丸が沈没した。この「いろは丸事件」発生によって、龍馬と紀州藩との談判は、鞆の浦で4日間行われたが決裂。その後、龍馬は万国公法に基づいて紀州藩から多額の賠償金をとることに成功。このことにより、龍馬と海援隊の名は世間に知れ渡った。

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桝屋清右衛門宅(ますやせいえもん)
 いろは丸事件の際、坂本龍馬海援隊士が宿泊したのが龍馬の隠れ部屋。  
桝屋清右衛門は事件の際に海援隊を支援し、宿舎として提供した。
 龍馬は階段のない二階の隠し部屋に寝泊まりしたと伝えられており、暗殺の危機もかえりみず談判にのぞんだ覚悟がしのばれる。現在建物は、龍馬と鞆の関わりを紹介した展示やギャラリーとして活用されている。龍馬の隠れ部屋は観覧が可能。

 40年前、鞆の浦を訪れたことがあった。小豆島とよく似ているなぁーと思った記憶がある。再び訪れたが、やっぱりよく似ていた。坂本龍馬さんに出会ったのは、びっくりポンでした。
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