500年間未だに謎、誰がなんのために・・・ 香川県指定文化財「大坂城石垣石切小瀬原丁場跡」の重岩の不思議
500年間未だに謎、誰がなんのために・・・
切り立った崖が肥後熊本加藤家が伐り出した丁場(石伐り場)です。どうして大石の上に小石を乗せたのか、どのようにして乗せたのか、未だわかっていません(笑い)
それにしても、山の山頂を伐りとり、どのようにして海岸まで運んだのでしょうか、どのようにして大坂まで何百トンもの石を、どのようにして運んだのでしょうか、未だ解明しておりません。
海上を走る高松からのフェリーや高速艇からも見えますよ。
山道の途中に、ここいら一帯が文化財だと示しています。
テストパイロットの愛人、釣りに使っている「讃岐花子さん号」です。
あいにく重ね岩への参道は、五月のゴールデンウィークを控えて工事中で立ち入り出来ないということでした。
石を割った矢穴の跡が、よくわかると思います。
加藤家の家紋の「蛇の目の紋」です。これと同じ刻印の石が大坂城の石垣として今も残っています。
どんな巨石にも目には見えない、「目」というものがあります。この目にそって矢穴という穴を開け、くさびを打ち込んで割るのです。
この大石は、後はこの矢穴に鉄製や木製のくさびを打ち込んで割る寸前で放置されています。なぜ、割らなかったのか・・・しかし、これが残っていたため、丸い自然石を小割をし、石垣用に四角にして運んだということがわかります。
下から見たら、このような矢穴があるのかどうかわかりません。
本当は、戸形の浜辺も、この大坂城の石垣の史跡にも観光客の人に来て欲しくないのです。特に、エンジェルロードのように××人観光客がいっぱい来るとうるさくなるので・・・
日本人の観光客の人も、ゴミは持って帰ってね、お願いします。
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