古くから「風待ち・潮待ちの湊」で栄え、江戸時代には北前船で賑わった 倉敷市下津井地区をたずねました(笑み)
古くから「風待ち・潮待ちの湊」で栄え、江戸時代には北前船で賑わった
倉敷市下津井地区をたずねました(笑み)
下津井祇園神社から下津井港と瀬戸大橋を望む
瀬戸大橋の架橋に併せ沿岸道路が整備されたため港も近代化が進んでいるが、常夜灯や雁木が一部残っており、街中には江戸時代に廻船問屋や遊郭が軒を並べた頃の面影が残り、岡山県によって町並み保存地区に指定されている。
下津井といえば、むかしは、「 下津井港はョ 入りよて出よてョ まともまきよて まぎりよてョ」と唄われた瀬戸内海屈指の良港であった。今は、瀬戸大橋児島・坂出ルートの起点となっています。
下津井港の後背の小高い丘の上にある下津井城跡(岡山県指定史跡)をたずねました。
桜が散っていました。満開ならさぞかし華やかだったと思います。
山腹の途中まで車で上がれます。ここからの備讃瀬戸の海と瀬戸大橋は一見の価値があります。
山を下り、下津井祇園神社へと向かいました。神社の入り口に、巨大な砲弾が鎮座していました。
かなりきつい傾斜の石段です。
小高い丘の上に祇園神社がありました。
古式ゆかしい神社なのに、なんともヘンテコな神額だと思っていたら、画家の中川一政さんの字でした。そう思えば風格があるような気がしてきました(笑い)
続いて、むかし下津井回船問屋へ向かいました。
館内には千石船の模型がありました。横の黒い金庫のような物は「懸硯・かけすずり」と呼ばれる船箪笥です。佐渡島で作られたものが最上で、外側はケヤキの無垢板、内部は桐の木で作られており、船手形や売上金を入れておくもので、北前船の船頭が命の次に大事にしたもの、船頭がこれを持って船問屋を訪ねると、番頭はこの船箪笥の出来で船の格式を見定めたといわれています。
千石船は積載重量に換算すると150トン、現在瀬戸内海のトラックと呼ばれる小型貨物船は総トン数199トンです。
ちょっと機嫌が悪いテストパイロットです。この「むかし下津井回船問屋」の中のお店が、うまいタコ料理を食べさせてくれると聞いて楽しみにしていたのですが、臨時休業となっていたからです。食べ物のことで機嫌が悪くなる。還暦を過ぎたのに、まだまだ人生修行が足りません(苦笑)
気を取り直して、旧の児島市、今の倉敷市児島地区にある日本一の塩田王と謳われた「旧野崎家住宅」へと車を走らせました。
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