老いるということは・・・その①

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 私の家は、隣が池をへだててうどん屋さんの來家(おいでや)、その横がシマムラという国道沿いにあります。エンジェルロードやセブンイレブンが近いので、三連休の中日の今日など歩道を歩いている人が多くなっています。五月の連休などは国道436号線が渋滞して外出しようにも車を出すことができません。そのため、これまで車に乗っている観光客が便所を貸して欲しいとか、糖尿病の人が砂糖水を下さいとか、家の前で倒れていた人など、思いもかけない訪問者を迎えることがありました。
 三日前のことです。母親の葬式もすんでほっと一息、夕方の4時過ぎ、家の前の歩道を箒で掃いていると、突然、高齢の女性から、「話しを聞いて下さい」と声をかけられました。私が、「な、なんですか」 と言うと、切羽詰まった顔で、「うちに帰りたいん」といいました。
「おばちゃんのうちは、どこですか」
「わからんのです・・・」
「おばちゃんの名前は・・・」
「わからんのです」
「だんなさんの名前は」
「××××です」
 自分の名前も家の住所も覚えていないのに、夫の名前だけは、はっきりと私に告げました。
 かつて私の母親も認知がすすみ、出て行ったきり暗くなっても帰ってこなかったため、友人たちが手分けして探し回ってくれたことがありました。母親は毎朝エンジェルロードへ柴犬のテツをつれて散歩していましたので、大変心配したのを思い出しました。それ以外、服に大きく母親の名前と電話番号を書くようにしました。
 とっさに、母親の認知や介護のことでお世話になった土庄町役場の「やすらぎプラザ」に電話をし、事情を話したところ、課長の山本さんが、すぐ行きますとのこと、ほっとしました。五分ほどで山本課長が来てくれました。と軽自動車がとまって高齢の男の人が降りてきました。高齢の女性のご主人でした。山本課長がご主人に連絡してくれていたのです。
 この高齢の女性の場合、自分の名前も、家の住所もわからなくなっていたのに、なぜかご主人の名前をフルネームで覚えていたのです。だから迅速に対応できたのです。考えてみれば、人が頻繁に通っている場所だから、また役場に近い場所だからよかったのだと思います。もしこれが、日中にもかかわらず人通りの少ない、役場から遠い地区だったらどうなのでしょうか、平日だったからよかったのです。役場は土曜日、日曜日は休みです・・・
 老いは、誰にでも忍び寄ってきます。小豆島は、少子高齢化にともない過疎化が進捗し、65歳以上の老年人口が40%を超えています。老いた人間が安心して住める小豆島になるためにはどうするべきか、行政だけでなく、私たち一人ひとりが取り組まなければならない問題だと思います。

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