酒田市「本間美術館」訪問記-①

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                               「本間美術館」訪問記-①


 テストパイロットは、「本間様には及びもせぬが、せめてなりたやお殿様」という歌も詠まれるほどの栄華を誇った本間家のよすがを今に残す、秀峰鳥海山を借景とする「鶴舞園」へ、入館料900円也を払い入園いたしました。
「これが本間家の・・・」「どこかで見たような灯籠だなあ・・・」という思いを抱きながら庭園を巡り「清遠閣」へと向かいました。
 清遠閣の庭を見ていると、案内のおばちゃんが寄ってきて、色々と建物や庭の説明をしてくれました。
窓のガラスに歪みがあるのは、手漉きのガラスのためとか、庭石は全国から取り寄せた珍石や銘石であるとか、灯籠は小豆島の石で造られていると誇らしげに言いました。
 それを聞いてテストパイロットは、びっくりするやら、やっぱりと思うやら、江戸の商人の川村瑞賢が幕府の命により開いた、津軽青森県松前山形県の酒田、福井県敦賀。九州は福岡県の博多、瀬戸内海を航行して大阪へという西回り航路を使って小豆島の石が酒田に運ばれていたのである。
 パンフレットにも小豆島の石を使った灯籠と書かれていた・・・
 小豆島の石を使った灯籠を発見したことは感激したのであったが、3000町歩の田畑を所有し、日本一の大地主と呼ばれた本間家の庭にしては、3000坪とはちょっとこぢんまりしている、と思った。
 これは小豆島で育ったテストパイロットが、庭と言えば小学生の頃の一日旅行などで訪れていた高松の「栗林公園」や岡山の「後楽園」などを思い浮かべ、無意識のうちにそのイメ-ジで見ていたからである。
 讃岐松平藩12万石、備前池田藩31万石の大名庭園と比較するのは、「鶴舞園」にとっては少し酷であるとテストパイロットは反省したのであった。
 それにしても、瀬戸内の小豆島の石が日本海に面した酒田に運ばれていたとは、これは調べてみなアカンなと思ったテストパイロットでした。