『漢語の知識』 一海知義 岩波ジュニア新書25

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                     『漢語の知識』 一海知義 岩波ジュニア新書25


 
 内田義彦先生の『読書と社会科学』岩波新書(Ⅲ・創造現場の社会科学 1・日常語で見えるもの)のなかで一海先生の『漢語の知識』が掲載されており、また、先生から一海先生のことを「こわい人ですね」と聞いていたので、さっそく読んでみた。今から25年ほど前のことである。
 もっとも、内田先生は経済学者で社会思想史家、一海先生は中国文学専攻の人である。
 ジュニア新書らしく、内容はわかりやすい。なにしろ、目次が、勉強、落第、浪人、因縁・・・だれもがいつも使っている言葉(漢語)である。勉強にも二つの意味、「勉強しなさい」、「勉強しときまっさ」、これもふだんよく使う言葉である。サ-ビス満点の、それこそ「大勉強」の本・・・しかし、「人間(にんげん)」と「人間(じんかん)」、呉音と漢音など、読み返すほどに、一海先生の隠された牙がぼつぼつと見えてくる。
 10年ほど前、一海先生を小豆島にお招きして「漢字の歴史」という演題で講演会をした。わかりやすい言葉で、笑いあり、しかし学問的な的確さをうちに秘めた、大変楽しいひとときであった。また、拙宅にきてもらい、いろいろとお話を伺った。「やさしくて、怖い」先生であった。

 
 拙著「テストパイロット」に一海先生が登場する。


「その当時、京都の中学生だった一海知義神戸大学名誉教授)は、名古屋から三十キロほど南の中島飛行機半田製作所において、三座高速艦上偵察機「彩雲」や艦上攻撃機「天山」のリベット打ちしていた頃を回想して、こう述べている。
「京都の中学生だったのですが、勤労動員のために愛知県の半田市にあった中島飛行機の工場に連れて行かれ、毎日「彩雲」や「天山」という飛行機のリベット打ちに明け暮れていました。飛行機の機体はジュラルミンの板と板をリベットで可締めて造っていきます。リベット打ちは二人一組で行います。機体の外にいる一人がジュラルミンの板にあけられている穴と穴を重ね合わせてそこにリベットをはめ込み、鉄板をあてがいます。もう一人は、鋲打機を持って機体に潜り込み、中からリベットを可締めるのです。最初は会社の熟練工の人が手本を見せてくれました。この人が打ち込みますとリベットは寸分狂わず打ち込まれ、それは見事なものでしたが、私のような中学生が鋲打機で打ち込みますと、中心がずれたり、可締めが不完全で、ひどい時には継ぎ目に隙間さえできていました。ぱっと見はリベットで可締められているように見えても、熟練工と中学生では接合面の面圧強度の差はいちじるしかったと思います。また、女学生はジュラルミンの板を罫書き通りに切断したり、ヤスリをかけたりしていましたが、考えてみれば飛行機は何百キロというスピードで空を飛ぶのですから、ほんのわずかとはいえズレや歪みは許されないものです。もちろん検査もありましたが、大抵は合格しました。完成した彩雲が試験飛行に飛び上がったかと思う間もなく墜落するのを目撃したことがあります。テストパイロットの人は大変だったと思います」
 一海がリベット打ちをしていた三座高速艦上偵察機「彩雲」は、乗員三名、中島「誉」二十一型離昇出力千九百九十馬力発動機一基搭載、全長十一・一五メートル、全幅十二・五メートル、全備重量四・五トン、航続距離三千八十キロ、空母に搭載するため機体は極限まで小型化が図られ、層流翼、前縁スラットやファウラー・フラップ、ジェット(推力式)効果を高める単排気管などの新機軸を採用の結果、実用化された海軍機の中で六百九キロ(試作機は六百五十四キロ)というトップスピードを誇り、偵察に来た彩雲を迎撃に飛び上がったグラマンも、彩雲が高速なので追尾できず、「我に追いつくグラマンなし」と彩雲の電信員が誇らしげに打電したというエピソードを残す優秀機であり、生産工程の大幅削減のためリベットの数は、銀河の二十八万本、零戦、天山の二十二万本に比べ、半分以下の十万本にまで減らされていた。」