本間家本邸と別邸

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

                              
                            



                             詠に名高き本間家本邸と別邸 
 

 テストパイロットは、朝の6時に起きて、気温3度の酒田市の町を散策、本間家本邸と別邸に向かった。
駅前のビジネスホテルから歩いて10分、名高き本間家本邸の前に立つことが出来た。
 正直な感想、「歌に名高きあの本間様が2000石の格式の武士か・・・」という思いが脳裏を駆け巡った。
 しかし、大阪の淀屋橋で名を残した浪速の豪商「淀屋辰五郎」が、あまりの豪奢振り口実にお上から取りつぶされたように、不世出の相場師三代当主本間光丘以来、井原西鶴をして「日本十大分限者」と呼ばれた本間家が、戦前まで連綿と続いてきたのは、分際を守ってきたからに他ないと思うようになった。
 江戸時代の豪商らしく、本間家本邸としているが、これは色々な意味での接待所であり、別邸に本間家当主が住んでいたのである。
 そう思いながら、北廻船全盛だったころの栄華のよすがを今に残す「山居倉庫」へと耳朶の寒さを物ともせず、テストパイロットは向かったのであった。